2017年4月2日日曜日

コンスタンティヌス帝の凱旋門 Arco di Costantino (イタリア・ローマ)

 ここコンスタンティヌス帝の凱旋門も前回のイタリア旅行で訪れたことのある場所だ。
 コンスタンティヌス帝の凱旋門は、帝政ローマの中心部、フォロ・ロマーノコロッセオから程近い場所に位置する。
 二千年前は、まさにここが世界の中心であったのだ。

コロッセオからコンスタンティヌス帝の凱旋門を望む
コロッセオからコンスタンティヌス帝の凱旋門を望む

 コンスタンティヌス帝の凱旋門を見るには、コロッセオの通路は特等席だ。距離といい、角度といい絶好のロケーションから凱旋門の雄姿を望むことができる。遠い昔、ローマ市民もこうしてフラウィウス円形闘技場(コロッセオ)の通路から凱旋門を眺めたのだろう。



 イタリアの観光地はどこも警備が厳重である。警察(Polizia)や憲兵(Carabinieri)、そして軍をあちらこちらで見かける。欧州ではテロリズムの脅威は日本よりも極めて身近である。テロリストに攻撃を思いとどまらせるためには、ここまでの警備が必要なのだろう。近くでカメラを向けるのもはばかられるので、こうして遠方からズームで狙ってみた。



 コンスタンティヌス帝はローマが分割統治されていた時代に西ローマ帝国の副帝となり、分割統治者の内戦を勝ち抜いてローマ世界の再統一を果たした人物である。偉業を成し遂げたがゆえに大帝とも称される。
 禁制の宗教であったキリスト教を公認し、ニカイア公会議を主宰した皇帝としても有名である。ローマ皇帝は絶対的存在であり、唯一絶対の神は不要であったはずだが、斜陽のローマ帝国には神という名の絶対が必要になっていたのであろう。

 この凱旋門はそれより古い時代の施設から多くの装飾を移設して完成したものである。コンスタンティヌスが創らせた部分もあるけれども、すでに国力を失ったローマ帝国では、凱旋門すらも借り物で済ませてしまったということなのだろう。

 そしてコンスタンティヌス大帝は、帝国の首都をコンスタンティノープルへ移したのであった。

 我々はこの後、皇帝の住いパラティーノの丘を目指す。


 2017年1月イタリア旅行


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