2012年3月30日金曜日

【クラウディア水道橋】(イタリア・ローマ)



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ローマのテルミニ駅から地下鉄A線に乗って、チネチッタ(Cinecitta)駅で降りる。地下鉄の駅を出ると大きな幹線道路、トゥスコラーナ通り(Via Tuscolana)にでるので、その道路に沿ってチネチッタ広場(Piazza di Cinecitta)に向って北西に少し歩くと、向かって左側、遠くににローマ水道橋が見えてくる。

クラウディア水道橋(Acquedotto Claudio)である。




クラウディア水道橋の竣功は西暦52年。この水道橋の名は、当時、ローマ帝国の皇帝であったクラウディウスにちなむものだ。

一体に、ローマの街道、水道などのインフラはそれを作るために私財をなげうった人の名がつけられることが多いのだが、この水道橋もその例に漏れない名称となっている。







ここは、ローマからは比較的アクセスも良く、あの有名なローマ水道橋が、なかなか良い保存状態で残されている。私がこの地を訪れたのは2008年3月のことであったが、他に観光客の姿もなく、近くを通るのはジョギングや犬の散歩をするローマ人(?)だけであった。

ここはローマ観光の穴場である。

旧アッピア街道(Via Appia Antica)からもほど近い場所にあるので、時間が許す状況ならば、アッピア街道へも足を延ばしてみたかったが、徒歩で行くには少々遠いのと、その日のうちに見て回りたいところがたくさんあったため、旧アッピア街道を見ることは断念した。










ウィキペディアの記述によると、クラウディア水道橋は、ローマの水道管理委員、セクストゥス・ユリウス・フロンティヌスの残した資料によるものとして、次のデータが挙げられている。

・建築年:西暦38~52年
・全長:68.681km
・水源地の高さ:320m
・ローマの高さ:67m
・送水量:184,280㎥/日

離れた場所から水道を引くことが可能かどうかは、水源と目的地と間の距離と高低差との関係によって決まるわけだが、それを見極めることが可能な程度の測量技術が当時すでに存在した、ということになる。精度は別にしても、二千年前にどのようにしてそれを測量したのか、想像することすら不可能だ。

70km近い距離の高低差はわずか250m余り。全区間にわたり均等な勾配で建設されていたとすれば、水勾配は0.368/100(0.368%)という計算になる。水平距離100メートル当りの高低差0.368m(36.8cm)ということだ。現代の建築でも雨が降る場所では水がたまらないように勾配を設ける(これを水勾配という)が、その勾配は一般的に1/50~.1/100程度。広い場所で1/100勾配で設計すると、水たまりができることがあるので、可能であれば1/50程度とることが理想的である。

ローマ水道橋の勾配はこの現代の施工水準を上回る精度を誇る。
古代ローマ人は恐るべき技術力を誇っていたのである。




断続的に残る水道橋の断面を見ると、四角形の空洞部分があり、この部分を水が通っていたものと思われる。

Wikipediaには「1キロ当り34センチの傾斜(1:3000)」との記述もあるが、このWikipediaの記述を信じるとすれば、驚異的な技術水準である。水が流れさえすれば良いわけだし、常時水が流れているはずのものだから、多少の施工誤差があっても「水溜りができる」心配はないだろうが、正直言って信じ難い数値である。

しかも、建築工事は今をさかのぼることおよそ二千年。

共和政・帝政ローマが広大な版図を勝ち取り、当時の感覚で言えば「世界帝国」を作り上げたのも、この技術力をもってすれば、当然のことであったのかも知れない。




なかなかの壮観。

サン・ピエトロ大聖堂やカステル・サンタンジェロ、パンテオンを差し置いても見るべきであるとまでは言わないが、イタリア旅行でローマの自由時間に余裕があったなら、見ておいて損はない場所だ。




ちなみにこの最後の写真はクラウディア水道橋と並行するマルキア水道橋(Acquedotto Acqua Marcia)だ。こちらはクラウディア水道橋よりも建築時期は古い。Wikipediaによれば、こちらの建築年は西暦紀元前144~140年。クラウディア水道よりも200年ほど前の建設である。建設当時の地盤面もクラウディア水道橋よりも随分と低かったらしく、現代では大部分が土に埋もれたままである。

歴史的価値は別にして、観光客としてはこちらにはあまり見ごたえを感じなかった。

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