2017年4月30日日曜日

サンタ・スザンナ・アッレ・テルメ教会 Chiesa di Santa Susanna alle Terme di Diocleziano (イタリア・ローマ)

 サン・ベルナルド・アッレ・テルメ教会(Chiesa di San Bernardo alle Terme)を背にして、正面にはサンタ・スザンナ・アッレ・テルメ教会(Chiesa di Santa Susanna alle Terme di Diocleziano)がある。



 ここも、ディオクレティアヌス浴場の一部だったところである。その遺構を再利用したものかどうかは調べてみてもわからなかった。

 我々は、この場を後にしてローマの市壁(ピア門)を目指した。


 2017年1月イタリア旅行

2017年4月29日土曜日

サン・ベルナルド・アッレ・テルメ教会 Chiesa di San Bernardo alle Terme (イタリア・ローマ)

 共和国広場を出て、トリノ通りを北に向うとサン・ベルナルド・アッレ・テルメ教会(Chiesa di San Bernardo alle Terme)に差し掛かる。ここを通りかかったときは、何やら由緒ありそうな建物だと思ってカメラに収めておいたものだ。

 教会だと知っていればちょっと覗いてみたはずなのだが、教会であるということすら日本へ帰ってから調べてみるまで気付かなかった。



 ここは、共和国広場と同じディオクレティアヌス浴場の一部である。Wikipediaの記述によれば「サン・ベルナルド・アッレ・テルメ教会は浴場の矩形の境界内の南西の壁に接するように建っていた2つの円形の塔のうち1つを再利用している。2つの塔の間には同じ壁の一部として大きなエクセドラがあったが、現在はローマの共和国広場の配置からその外形が想像できるだけである。」ということだそうだ。


 2017年1月イタリア旅行

2017年4月28日金曜日

共和国広場 Piazza della Repubblica (イタリア・ローマ)

 本日は帰国の途に着く日だ。

 ここ共和国広場(Piazza della Repubblica)も古代の遺跡の跡地である。ここはディオクレティアヌス浴場(Thermae Diocletiani)のエクセドラ(半円形の部分 exedra)の部分をもとに造られた広場である。中世までここはエゼドラ広場と呼ばれていたらしい。いうまでもなくエゼドラとはエクセドラのことである。


 共和国広場に面して、遺跡そのままの外観のサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ・エ・デイ・マルティーリ教会がある。この教会には近場を散策してから、最後に訪れることになる。




 この広場は建物の一部であったとは信じられないくらい巨大である。カラカラ浴場で馬鹿ばかしいほど巨大だと思ったわけだが、建物がなくなってしまうと、その巨大さが実感としては理解できなくなるものだ。

 ディオクレティアヌス浴場の一部が再利用されている施設はいくつかあって、そのうち、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ・エ・デイ・マルティーリ教会、サン・ベルナルド・アッレ・テルメ教会、サンタ・スザンナ・アッレ・テルメ教会はこれから訪れることになるのだが、それぞれは一つの建物だったとは信じられないほど離れた場所に位置する。

 世界の首都であったローマの浴場は本当に馬鹿ばかしいほど巨大であった。恐るべきはローマの建設技術である。現代文明は本当にローマの時代より我々人類を幸福にしているのだろうか。


 2017年1月イタリア旅行

2017年4月27日木曜日

サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会 Chiesa di Sant'Agnese in Agone (イタリア・ローマ)



 ナヴォーナ広場に面して存在するのがサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会(Chiesa di Sant'Agnese in Agone)だ。前回の旅行では教会内部に入ってみることはしなかった場所である。






 この教会も内部は非常に壮麗である。ローマの教会はどこも内部はきず一つなく清らかで美しいのは驚くべきことである。これだけ多数の教会を新品同様に維持するためには、膨大な費用が必要だと思われるからだ。

 このブログを書くために調べて初めて判ったことだが、サンタニェーゼとは聖アグネスのことである。聖アグネスはローマの名門の生まれで非常な美人であったが、執政官の息子からの求婚を断り、その後にキリスト教徒であると告発され、棄教を受け入れることなく殉教した人物であるという。

 ローマのキリスト教会をめぐると、あちこちで処刑と殉教の物語に触れることになる。殉教は崇高な行為であって、処刑された少女は聖人となり、我々の救いのとりなしをしてくれる存在となったのだろう。が、できれば少女の殉教の話は聞きたくなかった。

 この教会の名称に含まれるAgoneは苦しみを意味する言葉である。だからこの教会の名称は「苦悶の聖アグネス教会」という意味になる。

 まだ聖アグネスの物語を知らない私たちにとっては、今日がローマ最後の夜となる。この後スペイン広場近くで夫婦でひとつずつバッグを買い、ホテルに荷物を置いてからいつもの店で食事をしてホテルへ戻った。

 明日は、日本へ帰る日である。


 2017年1月イタリア旅行

2017年4月26日水曜日

ナヴォーナ広場 Piazza Navona (イタリア・ローマ)

 トラステヴェレからテルミニ駅へ戻るためにスペイン広場の地下鉄乗り場へ向う途中にナヴォーナ広場がある。ここは前回のイタリア旅行でも訪れたところである。忘れていたが、前回のナヴォーナ広場は雨であったようだ。






 街を歩いているとわかりにくいが、ここは古代の競技場の跡地である。上の写真は、近くで通りかかりに見つけた遺跡である。そこで興味深い解説を見付けたので、写真に収めておいた。

 Visit the Studium of the Domitian: Piazza Navona と書かれているのが判るだろう。そう、ここは古代のドミティアヌス帝の競技場の跡地なのである。

 この写真を見ると、マルチェッロ劇場のように、ここも客席部分を再利用しているのではないかと思いたくなってしまう。実際、どうなのだろうか。




 ナヴォーナ広場は噴水でも有名だ。今となってはどれがどの噴水かわからなくなってしまったが、移りの良い写真をいくつか掲載しておいたので、雰囲気は判ってもらえるだろう。しかし、貴重なオベリスクをあんな場所に設置して大丈夫なのだろうか。オベリスクの真下が空洞になっているのだけれども。


 寒い中、少し無理をして食べたジェラート。おいしかった。


 ここでも軍用車を見る。警備御苦労様です。


 2017年1月イタリア旅行

2017年4月25日火曜日

サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂 Basilica di Santa Maria in Trastevere (イタリア・ローマ)



 トラステヴェレの中心部にあるサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会にも立ち寄った。工事中であったために外壁の装飾を観ることはできなかった。この教会はローマ最古の教会とされている。




 古代の大理石の装飾やラテン語の碑文(だろうか?)が無造作に壁に埋め込まれている。ガイドブックなどではこれに触れた記述はなかったようだが、それぞれの破片もおそらくは、かなり歴史的価値のあるものなのではないかと思う。




 内部は非常にきらびやかである。もともとキリスト教会の内部の壁画は、文字が読めない信徒に聖書の物語を教えるためのものであった。現代の日本人でも、少々の感動なしにこれらの装飾を眺めることはできない。
 聖母マリア教会であるだけに、イエスの隣に聖母マリアが描かれている。


 今回の旅行ではあちこちで見かけたミニチュアの人形による聖書物語。訪れたのが1月だったのでクリスマスの展示がまだ残っていたのだろうか。少しだけ得をした気分である。

 我々夫婦がこの教会を見物しているうちに、鐘楼の鐘が何度も何度も鳴り、人がぞろぞろと集まってきた。何が始まるのかと思っていると、どうやら葬儀が始まるようである。レクイエムのミサの邪魔になってはならない。我々は早々に教会を後にしたのであった。


 2017年1月イタリア旅行


2017年4月24日月曜日

ティベリーナ島 Isola Tiberina (イタリア・ローマ)

 トラステヴェレへはこのティベリーナ島を通っていくことにした。ティベリーナ島はテベレ川の中洲である。ここは古代から病院であったと記憶しているのだが、インターネットの情報によると3世紀に医学の神アスクレピオスの神殿が創られたことから、病院としても機能していたもののようだ。病院が建設されたのは16世紀のことだとされている。

 うろ覚えの記憶は一応正しかったようである。


 右奥に見える橋を渡って、一旦ティベリーナ島に上陸してから、もう一度橋を渡るとそこはトラステヴェレだ。



 テベレ川にかかった橋から、壊れた橋を望む。古代ローマ時代から変らず流れ続けるテベレ川。


サン・バルトロメオ・アリソーラ教会

 この教会は、ティベリーナ島のアスクレピオス神殿のあった場所に建てられている。ここは内部に入ることなく、次の目的地トラステヴェレへ向った。


 2017年1月イタリア旅行


2017年4月23日日曜日

壊れた橋 Ponte Rotto (イタリア・ローマ)

 壊れた橋(Ponte Rotto)は正式にはアエミリウス橋(Pons Aemilius)といったようだ。古代ローマの橋の遺構である。ウィキペディアの記載によれば、紀元前142年に完成し、紀元280年にも補修された記録が残っているとのことである。
 ここも前回のイタリア旅行で観たことのある場所であるが、今回の旅行でも再び目にすることになった。



 これを見るために寄り道する価値はないかもしれないが、近くを通ることがあるのなら立ち寄ってみても良いのではないだろうか。


 2017年1月イタリア旅行

トラステヴェレ Trastevere (イタリア・ローマ)

 カラカラ浴場からトラステベレへはバスを利用して移動した。本日二度目のバス利用である。
 カラカラ浴場近くのバス停「Terme Caracalla/camene」から乗って、真実の口近くのバス停(バス停の名称は忘れてしまった)で降りる。ルート検索はグーグルマップの力を借りた。バスから降りるときは日本と同じようにボタンを利用してブザーで運転手に合図を送る。ここまではきちんとできたのだが、降車すべきバス停で目の前のドアが開かない。直前のバス停では開いていたので、なぜ開かないのか理解できなかったのだが、もしかしたら、その車体後方のドアは乗車用の扉で、たまたま乗る人がいたから開いたものだったのかも知れない。
 次のバス停で、車体中ほどのドアから無事に降車することができた。歩く距離が大幅に伸びたわけではなかったことは幸いであった。

 途中、壊れた橋を見て、ティベリーナ島を通り抜けてトラステヴェレ地区へ入る。







 トラステヴェレは真実の口からテベレ川を渡った辺り一帯の名称である。東京で言うと下町のような場所で、飲食店も安価で若者が集まる場所だということらしい。

体調のすぐれなかった我々は、飲食店に立ち寄ることもなしにサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂へ向ったのである。


 2017年1月イタリア旅行


2017年4月21日金曜日

カラカラ浴場 Terme di Caracalla (イタリア・ローマ)

 バスを降りたカンポ・デ・フィオーリ広場から真実の口を経てようやくここカラカラ浴場まで歩いてきた。入場料は一人6ユーロ。本日延々と歩いてきて、ここが初めて入場料が必要な場所であった。




 カラカラ浴場の全貌を目にして、最初に口にした言葉は「馬鹿ばかしいほど巨大だ」である。ともかくスケールが違う。全てが石とローマン・コンクリートという古代の技術で作られていることを思うと、この巨大さは驚異的である。











 浴場にモザイク画は必需品だったのだろう。床の幾何学模様が美しい。神話の一部を描いたと思われるモザイク画の断片が、観光客に向けていくつも無造作に置かれていた。






 ともかくここは広大である。一回りじっくり見ながら歩いたら、一時間以上かかった。観光シーズンから外れているからか、ここも貸切に近い状態で、くつろいだ気分でのんびりとみて回ることができた。

 我々は、この後再びバスを利用してトラステベレを目指す。


 2017年1月イタリア旅行