遊覧船の乗り場にもなっている石廊崎の港に自動車を停め、役小角(えんのおづの)の銅像のわきにある坂道を登っていくと、石廊崎灯台に至る。
この灯台は、柵で囲われており、近寄って見物することはできない。仕方がないので、記録のために看板を撮影し、灯台の写真を撮る。ここですべきことはこれだけ。
先を急ぐ。
岬の突端部分を取り巻くようにして遊歩道が整備されており、その岬の最突端部には熊野神社の祠(ほこら)がある。縁結びの神様のようだ。
一応、石室神社とは別のものらしい。
何年前になるか、以前一度この地を訪れたことがあるが、何から何まで昔のまま。こういうところは、変らないことに価値がある。この祠の周辺からは、伊豆七島が望める。この日は、快晴ではなかったが、遠くいくつかの島を望むことができた。
ここの景色はよい。神社に興味が無くても、この景色を見るだけでもここまで来る価値があるだろう。そして、ここまで来たならば、神様に詣でるべきである。
岬の突端から石室神社を望む。断崖絶壁にお社(やしろ)がある。この神社の由来には諸説あるらしい。煩雑になるからここにはその諸説を記すことはしない。
一体に古い神社になれば、御祭神に複数の神様が祭られていることは当り前のことである。そして、その祭られている複数の神様を総称して、「○○神社」と称するわけだ。そしてその祭られている神様によって、学業成就の神であるとか、交通安全の神であるとか、縁結びの神であるとかの神社の性格が決まるのである。
ここに神社を作ることを思いついた方の想像力には頭が下がる。そして、この場所に神社を建設することの困難を考えると、実際に工事にあたった方々は相当の熱意と信念とをもって工事をされたのに違いないと、そう思うのである。
江戸時代の千石船の帆柱。ガラスが嵌め込んであって、七不思議の帆柱が見られるようになっている。神社の貼り紙によると、伊豆七不思議の一つであるという。由来を写真に収めておいたので、興味がある方は御覧いただきたい。
嵐にあった船がこの石廊権現に無事を祈り、帆柱の奉納を誓ったところ、無事江戸につくことができた。帰路、この石廊崎に差し掛かると、船が進まなくなり、海が荒れ始めた。この帆柱を切り倒して海に投じ、石廊権現に奉納すると、不思議とその帆柱は石廊権現の社前に供えた如く打ち上げられ、波も静まった、云々。(というようなことが書いてある。)
ちなみに修善寺で見た独鈷の湯もここでは七不思議のひとつに数えられている。
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