2012年4月19日木曜日

【カステル・サンタンジェロ】(イタリア・ローマ)





カステル・サンタンジェロ(Castel Sant'Angelo)は直訳すれば聖天使城となる。

サンタンジェロ城と訳されることも多い。

この建物の上空に大天使ミカエルが現れたとの伝承により、今日このように呼ばれているが、もともとこれはローマ皇帝の霊廟として創られたものである。霊廟として建設されたものが、後世、城砦として利用されるようになり、さらに大天使が現れたとの伝承が加わって、今日ではカステル・サンタンジェロと呼ばれるようになったものである。





サンタンジェロ城には、今日でも、大砲の砲丸か投石用として使用したものと思われる球形の岩や、大型の弩砲が残されている。

ローマ教皇の地位については、近世になってイタリア王国が成立した後も緊迫した状況が長く続いたことを考えると、これらのものが今日も残されていることに感慨を禁じえない。







カステル・サンタンジェロは長く教皇の避難場所となっていて、ローマが外敵に侵されたときは、教皇は誰にも見られずに通ることのできる通路を通って、バチカンのサンピエトロ寺院からこのサンタンジェロ城に避難したという。

2012年4月17日火曜日

【ナヴォーナ広場】(イタリア・ローマ)


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サンタ・マリア・イン・コスメディン教会からパンテオンを経てカステル・サンタンジェロへ向かう途中で、ナヴォーナ広場(Piazza Navona)に出る。

グーグルマップで見るとわかるけれど、ナヴォーナ広場は古代の競技場の跡地である。紀元一世紀にドミティアヌス帝の造らせた競技場であった。上の航空写真を見ると、パンテオンとナヴォーナ広場との位置関係が一目瞭然である。

ここにも美しい彫刻を配した噴水と、オベリスクが存在する。

ローマの街は美しい。











2012年4月13日金曜日

【パンテオン】(イタリア・ローマ)






建築史の教科書には必ず出てくるローマ建築の傑作。細部のデザインではなく、ドーム部分の造形全体が幾何学的な美しさを見せている。円形の平面の上に美しいデザインの球形のドームが乗っている。円形の平面部分の直径は球形ドーム部分の直径と同一である。つまり、この部分は球体がピッタリおさまる空間となっているのだ。ドームの天井は、現代建築としても合理的な形状で、天井の重量を抑えながら強度を確保できる形状になっている。


  


ローマ建築の傑作であり、中世以降教会として使われていたために、破壊や荒廃することをまぬがれて、現代でもこの素晴らしい建物が良好な状態で維持されているのを見ることができる。ローマにいったら、パンテオンを見ないで帰ったらもったいない。

建築美とは何か、と問われたら、私はそれはパンテオンのような建物を表現するための言葉である、と応えよう。








パンテオンは、もともとすべての神々を祀るために造られた神殿である。通常パンテオンと音訳で表記されるが、「万神殿」と訳される場合もある。

パンテオンは最初、初代皇帝アウグストゥスの右腕であったアグリッパが紀元前25年に建立したが、その後焼失し、後世に皇帝ハドリアヌスが紀元後120年頃に建設した。現代に残るパンテオンは、このハドリアヌス帝によって建設されたものである。

この象徴的な美しさを持った円と球の空間の外側には古代ギリシア神殿のようなポルティコが配されている。このポルティコには、アグリッパが建設した旨の表示がされているが、それは最初にこの地にパンテオンを建設したアグリッパに敬意を表して刻まれたものなのである。

ふたたび言おう。

ローマに行ってパンテオンを見ずに帰るのは愚かである。


2012年4月12日木曜日

【マルチェッロ劇場】(イタリア・ローマ)







マルチェッロ劇場(イタリア語:Teatro di Marcello)はユリウス・カエサルが建設を始めたが、彼が暗殺されてしまったため、内戦を経て初代ローマ皇帝となったアウグストゥスが紀元前13年に完成させたものである。アウグストゥスの甥のマルケルスの名を冠した円形劇場の跡。マルケルス劇場(ラテン語:Theatrum Marcelli)とも、マルケッルス劇場とも。










マルケルスはアウグストゥスに後継者と目されていたが早世してしまった人物だ。アウグストゥスはこの人物の死を悼んで、自らが完成させた劇場に、この甥の名を付けたのである。

驚くべきは、集合住宅に改造されて現在も人が住んでいることだ。二千年前の遺跡に今も人が住むことができるということは、驚異的だ。

場所は、ティベリーナ島の近く。真実の口のあるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会からも近いので、真実の口で写真を撮ったついでに、立寄ってみるのもよいだろう。

2012年4月11日水曜日

【サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(真実の口)】(イタリア・ローマ)

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会というよりも、「真実の口のある教会」と言った方がとおりが良いだろう。

我々も、教会ではなく真実の口を見に行ったのである。






実際に、我々がこの地を訪れた時も、真実の口に手を入れた姿を写真に収めるためのカップルが行列を作っていたけれども、肝腎の教会の中は閑古鳥の啼くような状況であった。

行列の前には土産物屋があり、真実の口を模したピンバッジなどを販売していた。その時は、我等夫婦のどちらも特に欲しいとは思わなかったピンバッジなのだが、日本に帰ってから二人で「やっぱり買っておけばよかったね」と言い交わしたものである。現地ではくだらないものと目に映ったのだが、日本に帰ってから欲しくなってしまい、買っておけばよかったと後悔したのである。

真実の口は、ローマ時代のマンホールの蓋であったとの説が一般的だ。海神の姿が彫刻されているとされている。マンホールにしてはなかなか立派である。こんな素晴らしいマンホールを使用しているとは、古代ローマはなかなか贅沢な社会であったらしい。






この教会は、身廊の両側に側廊が位置する一般的なバシリカ様式だ。屋根は木造のトラス。古典的な構造である。

この教会は、東方で行われた聖像破壊運動から逃れてきたギリシア人に与えられた、という歴史を持っている。そのためか、東方教会でよく見るような、モザイク画を嵌め込んだ額が飾られていた。
聖像破壊運動とは、聖書にある「偶像を崇拝してはならない」との教えを文字通りに受け取った結果に起こった宗教運動であった。つまり、このモザイク画にあるようなイコン(聖像)を否定し、それを破壊しようとする活動であったのだ。

この教会の周辺は古代のフォルムの跡であって、ジアーノ門とか、ヘラクレス・ウィクトール神殿とか、壊れた橋とかの遺跡がたくさん残っているから、観光の目的地の一つに加えてみるのも良いだろう。

2012年4月10日火曜日

【壊れた橋】(イタリア・ローマ)






サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の近くに「壊れた橋(Ponte Rotto)」といわれる古代の橋の一部が残されている。フォルム・ボアリウムからテベレ川を越えて対岸(トラステヴェレ)へ渡るための橋であった。一枚目の写真の後ろに写っている中洲のような島はティベリーナ島だ。

現在残っているのはアーチひとつ分のみ。

この橋も紀元前二世紀には存在したようであるから、いまから二千二百年の昔、この辺りはいくつもの神殿と市場、そしてテベレ川の対岸へ渡るための石造の橋が存在していたのである。

ちょっとした遺跡にも悠久の歴史を思わされるのが、ローマなのだ。

2012年4月9日月曜日

【ヘラクレス・ウィクトール神殿】(イタリア・ローマ)



サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の目の前に「ヘラクレス・ウィクトール神殿」がある。

この周辺は当時フォルム・ボアリウム(Forum Boarium)と呼ばれ、ローマ最古のフォルムで、当時はローマの商業活動の中心地となっていた場所らしい。確かにすぐそばに壊れた橋の遺跡があるので、ここが重要な場所であったことは間違いないだろう。

この建築物の価値を知らなかったので、写真は適当な角度から写したこの一枚しか残っていない。また、ポルトゥヌス神殿については、すぐそばまで行っていながら、写真に残すことすらしていない。再びローマを訪れる機会には、もっと古代ローマの建築物について事前に調べてから行くことにしよう。

そうだ、こうしてローマ建築について調べながら書いているこのブログも、将来の自分自身の役に立つ日も来るかも知れない。

2012年4月8日日曜日

【ジアーノ門】(イタリア・ローマ)

「真実の口」で有名なサンタ・マリア・イン・コスメディン教会のほど近い場所に、ジアーノ門(Arco di Giano)がある。この門の造られた時の正式名称は、コンスタンティヌス門(Arcus Divi Constantini)といい、コンスタンティウス二世が父のコンスタンティヌス大帝の名誉を讃えて西暦356年頃に造ったものであった。




ジアーノ門(Arco di Giano)のジアーノは「ヤヌス神(ラテン語でJanus)」のこと。ヤヌス神は、門(出入口)の神、物事の始りをつかさどる神。一年の始りである「January」はヤヌスの月という意味である。

近くにコンステンティヌスの凱旋門があって紛らわしいために、後世になってこの名がつけられたものか。






この門は、凱旋門をロの字型に連続して配置したような構造になっているので、門の神の名を冠するのは確かに相応しいと思う。

観光ガイドブックではあまり大きく紹介されていないが、真実の口を見に行けばいやでも見える位置にあるから、事前に知っておくと旅の楽しみが一つ増えること間違いない。



(近くにある見所)
・サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(真実の口)
・壊れた橋
ヘラクレス・ウィクトール神殿
・マルチェッロ劇場

2012年4月7日土曜日

【フォロ・ロマーノ】(イタリア・ローマ)

フォロ・ロマーノ(Foro Romano)は古代ローマの政治経済の中心的存在であった。ラテン語ではフォルム・ロマヌム(Forum Romanum)。

Forumは現代英語のフォーラムの語源。フォーラムは今でも人の集まるところ、という意味である。

西ローマ帝国滅亡後は放棄されたままになっていたために、現在では完全に廃墟になっている。


フォロ・ロマーノへ向かう導入路からコロッセオとコンスタンティヌス帝の凱旋門を見る

フォロ・ロマーノはコロッセオとコンスタンティヌス帝の凱旋門のすぐそばに位置する。というよりも、当時の政治経済の中心地であったフォロ・ロマーノのそばにコロッセオと凱旋門が創られたというべきだろう。

現代では、広々とした空間のところどころに遺跡が残っているだけであるが、ローマの歴史が好きな方なら必ず訪れる価値のある場所である。空間が開けているので、清々しい気分で散策することができる。




ティトゥスの凱旋門


ティトゥスの凱旋門の内側にはローマ軍がユダヤ教の特徴的な燭台を持ち出すさまが描かれている

アントニヌスとファウスティーナの神殿

現代では教会になっている

ヴェスタの巫女たちの家


ヴェスタの神殿



カストルとポルクスの神殿
セプティミウス・セウェルス帝の凱旋門




フォロ・ロマーノは共和制ローマ、帝政ローマの政治の中心地であったから、戦勝の記念にここに凱旋門を立て、勝利将軍(インンペラトール)はこの地で凱旋式を執り行ったのである。当然のことながら、ローマ、特にフォロ・ロマーノ周辺には多数の凱旋門が乱立することになる。

凱旋門には、当然のことではあるが戦勝の様子が浮き彫りされていて、じっくり見れば当時の兵士の装束などが知れて、大変興味深いものである。

私の場合は、他にも見たいところが色々あったから、いくつもの凱旋門をじっくりと見ることなしに、取敢えずカメラに収めて、次の観光地に向かったのである。

しかし、フォロ・ロマーノはローマの最もローマらしかった場所であろう。

ローマを訪れたら、古代ローマに思いを馳せながらフォロ・ロマーノで一時をすごすのも悪くないと思う。ローマは見所だらけなので、普通の観光客はゆっくりと時間を避けないのが残念ではあるが。


バシリカ・ユリア
フォーカスの円柱とセプティミウス・セウェルス帝の凱旋門

フォーカスの円柱
元老院

元老院内部
サトゥルヌスの神殿