共和国広場から、サン・ベルナルド広場(Piazza di San Bernardo)を経て、一直線に伸びるヴェンティ・セッテンブレ通り(Via Venti Settembre)を郊外に向けて歩く。二十分も歩くとピア門(Porta Pia)に突き当たる。
ここはイタリア統一時に最後の教皇領ローマにサルデーニャ王国の兵が攻め込んだ場所のようだ。サルデーニャ王国の国王とは、後にイタリアを統一してイタリア国王となるヴィットーリオ・エマヌエーレ二世のことである。
ピア門の市内側 |
ピア門の市外側 |
狙撃兵の記念碑 |
ピア門の外側で不思議なものを見付けた。明らかに近代のもので、国威発揚を意図したモニュメントのようである。写真をよく見ると、再びMCMXXXIIの文字を見付けた。皇帝街道(フォーリ・インペリアーリ)で見かけたのと同じ1932年、ムッソリーニが政権を握っていた時代である。
ウィキペディアによると、1932年に「国内のモダニズム芸術家による協力の下にファシスト革命記念展が盛大に開催され」たということだから、その時の作品なのだろう。今回の一週間程度のイタリア滞在の間に、期せずしてファシズムの亡霊に二度も出会ったということになる。
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