今回の投稿で、2017年1月のイタリア旅行に関する記事は終了とする。
ローマの地を踏んだのは今回が二度目である。前回は大手旅行会社のツアーで、ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、およびその周辺の都市をいくつか巡って最後にたどり着いたのがローマであった。
ローマで一日自由な時間があったため、いろいろと自分で回ってみて自由旅行の楽しさを知ったのが、今回の旅行の原動力となったのである。
これまで海外旅行は何度もいろいろな土地へ行ったけれども、一番心に残っているのは世界の首都ローマである。ローマになら一週間滞在しても楽しめるとずっと思っていた。そして、今回その思いを実現させたわけである。結果は一週間では足りないくらいであった。
今回の旅行では、すでに訪れた場所も含め、たくさんの場所を訪れることができた。前回の旅行で敢えて観光ルートから外して、いつか必ず訪れようと思っていたコロッセオにも行くことができた。
それでも、行き残した場所がたくさん残っている。そして、今回の旅行で一番の心残りは、夫婦ともに体調がすぐれず、食を楽しむということができなかったことである。
いつの日にか、買い物や食事の合間に暇を紛らわせるために観光してみる、というような贅沢な旅がしてみたいものである。
その時は、三度ローマを訪れることになるだろう。
さらばローマよ。また逢う日まで。その時まで。
2017年1月イタリア旅行へ
2017年5月18日木曜日
2017年5月17日水曜日
2017年5月16日火曜日
コロッセオの猫 A Cat at the Colosseo (イタリア・ローマ)
コロッセオでも猫の姿を見付けることができた。
望遠で撮影したため、画像が不鮮明である。ここがどういう場所か知らずに、膨大な数の観光客を物ともせずに、この猫は遺跡の上で悠然とくつろいでいるのだ。
2017年1月イタリア旅行へ
望遠で撮影したため、画像が不鮮明である。ここがどういう場所か知らずに、膨大な数の観光客を物ともせずに、この猫は遺跡の上で悠然とくつろいでいるのだ。
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2017年5月15日月曜日
オスティア・アンティカの猫 Cats at Ostia Antica (イタリア・ローマ)
今回のイタリア旅行で出会った猫の写真を紹介しよう。最初の撮影地はオスティア・アンティカである。
イタリアでは観光地で野良猫に出会うことが多かったように記憶している。ここ、オスティア・アンティカでも何匹もの野性味あふれる猫の姿を写真に収めることができた。
2017年1月イタリア旅行へ
イタリアでは観光地で野良猫に出会うことが多かったように記憶している。ここ、オスティア・アンティカでも何匹もの野性味あふれる猫の姿を写真に収めることができた。
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2017年5月8日月曜日
ローマで電車に乗って思ったこと (イタリア・ローマ)
イタリアではローマ市内で頻繁に地下鉄を利用した。オスティア・アンティカまで結構長距離だったが、地下鉄と同じ一律料金で行くことができた。ローマ、ナポリ間の高速鉄道フレッチャロッサにも乗ったし、ナポリからポンペイまでヴェスヴィオ周遊鉄道も利用した。帰国時にはまた、高速鉄道レオナルド・エクスプレスにも乗車した。
そこで意外に感じたことは、降車駅でチケットを確認するという日本では欠かせない行為が、ここイタリアでは行われていない、ということなのである。
ローマの地下鉄では、一駅乗っても、終点まで乗っても一律料金1.5ユーロだ。距離が長い高速鉄道では切符を持っているか確認する乗務員が回ってくるが、出口で切符を改められることはない。その代りに、ヴェスヴィオ周遊鉄道の列車の中で一度だけチケットの提示を求められたことがある。この時に有効な(打券機を通した)切符を持っていないと、高額の罰金を取られるというのがこの国のやり方のようなのだ。
考えてみれば、これは非常に合理的である。このやり方なら、駅の出口で有効な切符を持っていることの確認を行わないのであるから、そのために掛かる膨大なコストが不要になる。従量料金を管理するためのコストも不要となる。有効な切符を持たずに列車に乗ったことが判った場合は高額の罰金を科せられることによる抑止効果によって、キセル行為も抑制できる。
どれだけ厳格に管理しても、不正をしようとする客はいろいろと工夫をして不正をするのであるから、不正抑制のためのコストは適当に抑えるべきである。これを実現しているのがイタリアの鉄道なのだ。
コストを抑制できる分、チケットの価格も抑えられるから、遠距離と近距離と同額ということもあまり問題にならないのだろう。鉄道会社も手間が省け、乗客は安価に鉄道を利用することができる。チケット代が安く抑えられるから一駅だけ乗る時もあまり気にしないで地下鉄を利用することができるのではないだろうか。
これは乗客にとっても鉄道会社にとってもハッピーな非常に合理的なやり方だと思う。
日本で一駅で降りる人も30分列車に乗る人も同じ160円という料金設定をすることができないのは、何か間違った過剰サービスの結果、高コスト体質になってしまって、鉄道料金が高額となっているということなのではないだろうか。
日本で生活している分には、電車を利用する場合は一駅乗る場合と三駅乗る場合とでは料金が異なるのは当たり前である。しかし、考えてみてもらいたい。都内の地下鉄やJRをすべて一律料金とした場合、出口の自動改札機は不要となる。あれの設置費用や、メンテナンス料は、当然のことだが乗客の我々が鉄道料金として負担しているのだ。もしかしたら、東京の地下鉄料金をどこまで乗っても一律170円にできる。そんなことが可能な方法をイタリアでは当り前に導入しているのかも知れない。
そんなことを考えさせられたイタリア滞在であった。
2017年1月イタリア旅行へ
そこで意外に感じたことは、降車駅でチケットを確認するという日本では欠かせない行為が、ここイタリアでは行われていない、ということなのである。
ローマの地下鉄では、一駅乗っても、終点まで乗っても一律料金1.5ユーロだ。距離が長い高速鉄道では切符を持っているか確認する乗務員が回ってくるが、出口で切符を改められることはない。その代りに、ヴェスヴィオ周遊鉄道の列車の中で一度だけチケットの提示を求められたことがある。この時に有効な(打券機を通した)切符を持っていないと、高額の罰金を取られるというのがこの国のやり方のようなのだ。
考えてみれば、これは非常に合理的である。このやり方なら、駅の出口で有効な切符を持っていることの確認を行わないのであるから、そのために掛かる膨大なコストが不要になる。従量料金を管理するためのコストも不要となる。有効な切符を持たずに列車に乗ったことが判った場合は高額の罰金を科せられることによる抑止効果によって、キセル行為も抑制できる。
どれだけ厳格に管理しても、不正をしようとする客はいろいろと工夫をして不正をするのであるから、不正抑制のためのコストは適当に抑えるべきである。これを実現しているのがイタリアの鉄道なのだ。
コストを抑制できる分、チケットの価格も抑えられるから、遠距離と近距離と同額ということもあまり問題にならないのだろう。鉄道会社も手間が省け、乗客は安価に鉄道を利用することができる。チケット代が安く抑えられるから一駅だけ乗る時もあまり気にしないで地下鉄を利用することができるのではないだろうか。
これは乗客にとっても鉄道会社にとってもハッピーな非常に合理的なやり方だと思う。
日本で一駅で降りる人も30分列車に乗る人も同じ160円という料金設定をすることができないのは、何か間違った過剰サービスの結果、高コスト体質になってしまって、鉄道料金が高額となっているということなのではないだろうか。
日本で生活している分には、電車を利用する場合は一駅乗る場合と三駅乗る場合とでは料金が異なるのは当たり前である。しかし、考えてみてもらいたい。都内の地下鉄やJRをすべて一律料金とした場合、出口の自動改札機は不要となる。あれの設置費用や、メンテナンス料は、当然のことだが乗客の我々が鉄道料金として負担しているのだ。もしかしたら、東京の地下鉄料金をどこまで乗っても一律170円にできる。そんなことが可能な方法をイタリアでは当り前に導入しているのかも知れない。
そんなことを考えさせられたイタリア滞在であった。
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2017年5月7日日曜日
ローマ市内観光で困ったこと (イタリア・ローマ)
一番困ったことは何よりもトイレが少ないこと。トイレがあっても、便器の上にあるべき便座がないことが多いということ。そして、有料のトイレが結構多いということであった。
便座がないというのは、どういうことなのか一応説明しておこう。日本の常識では、トイレの個室の設備としては、陶器でできた便器の上に開閉可能なプラスチック製などの便座がついているのが普通の姿である。さらにその上に蓋がついていることもある。イタリアのトイレの個室にはこのプラスチック製の便座が存在しない場合が多いのである。ない方が普通だといっても過言ではない。しかし郷に入っては郷に従えで、それでも何とか用を足すことができてしまうのが不思議なところだ。日本であれば、便座のついていない便器で用を足すことなど考えることもできないであろう。多分、トイレをそんな惨状のままにしているような店には、二度と足を踏み入れることはないはずだ。
しかし、急用であれば、それでも何とか工夫をして用を足すしかないのであるから、実際にはさほど困ることもなかった。対策としては腰を浮かせた状態で用を足す方法が一つ。トイレットペーパーを便器に敷き詰めてその上に腰かけて用を足す方法が一つ、である。
日本のように、どこにでも清潔で管理の行き届いたトイレが存在するような国は、世界広しといえども、そうそう存在しないものなのかも知れない。
イタリアのトイレ事情を体験してそんなことを考えたのであった。
2017年1月イタリア旅行へ
便座がないというのは、どういうことなのか一応説明しておこう。日本の常識では、トイレの個室の設備としては、陶器でできた便器の上に開閉可能なプラスチック製などの便座がついているのが普通の姿である。さらにその上に蓋がついていることもある。イタリアのトイレの個室にはこのプラスチック製の便座が存在しない場合が多いのである。ない方が普通だといっても過言ではない。しかし郷に入っては郷に従えで、それでも何とか用を足すことができてしまうのが不思議なところだ。日本であれば、便座のついていない便器で用を足すことなど考えることもできないであろう。多分、トイレをそんな惨状のままにしているような店には、二度と足を踏み入れることはないはずだ。
しかし、急用であれば、それでも何とか工夫をして用を足すしかないのであるから、実際にはさほど困ることもなかった。対策としては腰を浮かせた状態で用を足す方法が一つ。トイレットペーパーを便器に敷き詰めてその上に腰かけて用を足す方法が一つ、である。
日本のように、どこにでも清潔で管理の行き届いたトイレが存在するような国は、世界広しといえども、そうそう存在しないものなのかも知れない。
イタリアのトイレ事情を体験してそんなことを考えたのであった。
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ローマで毎日飲んだビール (イタリア・ローマ)
ローマに7泊して、ほぼ毎日テルミニ駅地下のスーパーマーケット、コナド(Conad)でビールを買ってホテルの部屋で飲んでいた。コナドの良いところは、価格が非常にリーズナブルであることである。
ハイネケンなどの見たことのある銘柄も置いてあったが、我々はせっかくイタリアへ来たのだからとイタリア・ビールばかり飲んでいたのである。
考えてみると夕食でワインを飲み、部屋へ帰ってからさらにビールを飲むという毎日だったわけだ。体調がすぐれなかったのは飲みすぎのせいだったのかも知れない。
2017年1月イタリア旅行へ
ハイネケンなどの見たことのある銘柄も置いてあったが、我々はせっかくイタリアへ来たのだからとイタリア・ビールばかり飲んでいたのである。
考えてみると夕食でワインを飲み、部屋へ帰ってからさらにビールを飲むという毎日だったわけだ。体調がすぐれなかったのは飲みすぎのせいだったのかも知れない。
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2017年5月5日金曜日
ローマで通ったレストラン Ristorante Pizzeria il Secchio (イタリア・ローマ)
ローマに7泊して3日通ったレストランが「Ristorante Il Secchio」である。ローマに着いた日に食事をした店だ。
正直言って、味は並である。いつ行ってもそこそこ空いていて、店員ももの静かで落ち着いて食事ができ、価格が良心的であるところが気に入って、何度も足を運んだのであった。ローマでは店員がうるさくて落ち着いて食事ができない店もあったのだが、その点この店はおすすめできる。
テルミニ駅駅から離れた場所で夕食をとったのは3回(バチカン市国近く、ナポリ、スペイン広場近く)だったから、ホテル周辺では4日間のうち1日だけ浮気をした計算になる。
写真が残っていないのだが、ピザは巨大で皿からはみ出すほどだ。スープもかなり量が多かった。ラビオリやフェットチーネは常識的な大きさだった。
今回のイタリア旅行は寒さのせいもあって、夫婦で体調を崩していたのだが、今度は体調が万全で食事がおいしくできる時にまた行きたいものである。
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Ristorante Il Secchioのハウス・ワイン |
正直言って、味は並である。いつ行ってもそこそこ空いていて、店員ももの静かで落ち着いて食事ができ、価格が良心的であるところが気に入って、何度も足を運んだのであった。ローマでは店員がうるさくて落ち着いて食事ができない店もあったのだが、その点この店はおすすめできる。
テルミニ駅駅から離れた場所で夕食をとったのは3回(バチカン市国近く、ナポリ、スペイン広場近く)だったから、ホテル周辺では4日間のうち1日だけ浮気をした計算になる。
ラビオリ |
フェットチーネ |
写真が残っていないのだが、ピザは巨大で皿からはみ出すほどだ。スープもかなり量が多かった。ラビオリやフェットチーネは常識的な大きさだった。
今回のイタリア旅行は寒さのせいもあって、夫婦で体調を崩していたのだが、今度は体調が万全で食事がおいしくできる時にまた行きたいものである。
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2017年5月4日木曜日
高速鉄道レオナルド・エクスプレスにて快適に空港へ(帰国) Leonardo Express (イタリア・ローマ)
ローマに到着してテルミニ駅に向かう時は資金を節約するためにバスを利用したのだが、帰りはユーロの現金が余っていたので、迷わずレオナルド・エクスプレス(Leonardo Express)を利用することにした。料金は一人14ユーロだ。
この写真はフィウミチーノ空港に着いてから撮影したもの。テルミニ駅では到着番線が表示されるのが遅く、セキュリティチェックを通ってから走って乗車したので写真を撮っている時間がなかった。
列車内部の案内表示板。非常にわかりやすく、不安を感じることはない。
フィウミチーノ空港のカフェで一休み。いよいよ今回の旅行も帰途につくことになった。
さらばイタリア。さらばローマよ。
また逢う日まで。
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この写真はフィウミチーノ空港に着いてから撮影したもの。テルミニ駅では到着番線が表示されるのが遅く、セキュリティチェックを通ってから走って乗車したので写真を撮っている時間がなかった。
列車内部の案内表示板。非常にわかりやすく、不安を感じることはない。
フィウミチーノ空港のカフェで一休み。いよいよ今回の旅行も帰途につくことになった。
さらばイタリア。さらばローマよ。
また逢う日まで。
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2017年5月3日水曜日
サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ・エ・デイ・マルティーリ教会 Basilica di Santa Maria degli Angeli e dei Martiri (イタリア・ローマ)
いよいよここが今回のイタリア旅行の最後の観光地となるサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ・エ・デイ・マルティーリ教会(Basilica di Santa Maria degli Angeli e dei Martiri)である。
ここは共和国広場同様、ディオクレティアヌス帝の浴場の遺跡をミケランジェロが再生させた教会である。天使と殉教者に奉じた聖母マリア教会というような意味のようだ。
この写真は、ピア門から共和国広場を目指して歩いているときに見たこの教会の側面である。頂部に十字架が見えているのでかろうじて教会だとわかるものの、一瞥(いちべつ)して遺跡にしか見えない。この状態をあえて残して、装飾を行わなかったミケランジェロの判断は本当に素晴らしかったと思う。
教会内部は遺跡の内部を再利用したとは思えないくらい壮麗である。これで教会は何件目だろうか。
教会の中庭のようなところへ入ることができた。不思議で小ぢんまりとした中庭である。振り返ると、そこはディオクレティアヌス浴場の遺跡そのままである。なかなか面白い空間が教会の裏に残っていた。
さて、この銅像は天使でしょうか。殉教者でしょうか。それとも、設計者ミケランジェロなのでしょうか。両手で何かの測量機械のようなものを持っているので、ミケランジェロの像ではないかと思うのだが、どうだろうか。
このあと、我々夫婦はテルミニ駅から特急電車にのってフィウミチーノ空港へ向い、空路日本への帰途についたのである。
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2017年5月2日火曜日
大山千枚田 Oyama Senmaida Terraced Rice Fields (千葉県・鴨川市)
棚田は水がはられ、田植えが始まったばかりだった。一年のうちで棚田の形状が最も判りやすい時期だろう。
棚田カフェのおにぎり定食 |
今日は火曜日で、本来なら定休日だったようだが、連休の合間の平日ということで棚田カフェは店を開けていた。せっかくだからご飯を味わおうと思い、我々はここでおにぎり定食をいただいた。
これが非常に美味で驚いた。
ご飯、おにぎりの具、味噌汁、漬物、筍の煮物、言ってみれば素朴な味なのだが全てが非常に美味。この日は、海ほたるで食事をした直後だったので、夫婦で半分ずつ食べたのだが、この定食が食べられると知っていれば、海ほたるでは軽食を食べるにとどめていたはずだ。
何の変哲もない棚田が見られるだけのことなのだが、棚田というものは今やこのようにわざわざ遠出しなければ観ることのできない風物となってしまったのだろう。
ここは、渋滞にはまらなければ都心から二時間で到着できる穴場である。
2017年5月1日月曜日
ピア門 Porta Pia (イタリア・ローマ)
共和国広場から、サン・ベルナルド広場(Piazza di San Bernardo)を経て、一直線に伸びるヴェンティ・セッテンブレ通り(Via Venti Settembre)を郊外に向けて歩く。二十分も歩くとピア門(Porta Pia)に突き当たる。
ここはイタリア統一時に最後の教皇領ローマにサルデーニャ王国の兵が攻め込んだ場所のようだ。サルデーニャ王国の国王とは、後にイタリアを統一してイタリア国王となるヴィットーリオ・エマヌエーレ二世のことである。
ピア門の市内側 |
ピア門の市外側 |
狙撃兵の記念碑 |
ピア門の外側で不思議なものを見付けた。明らかに近代のもので、国威発揚を意図したモニュメントのようである。写真をよく見ると、再びMCMXXXIIの文字を見付けた。皇帝街道(フォーリ・インペリアーリ)で見かけたのと同じ1932年、ムッソリーニが政権を握っていた時代である。
ウィキペディアによると、1932年に「国内のモダニズム芸術家による協力の下にファシスト革命記念展が盛大に開催され」たということだから、その時の作品なのだろう。今回の一週間程度のイタリア滞在の間に、期せずしてファシズムの亡霊に二度も出会ったということになる。
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