2017年3月31日金曜日

コロッセオ Colosseo (イタリア・ローマ)

 イタリア六日目はコロッセオ(Colosseo)からスタートする。この施設が使われていたころの正式名称はフラウィウス円形闘技場(Amphitheatrum Flavium)である。フラウィウスはコロッセオ建設当時のローマ皇帝の家門名だ。

 コロッセオはラテン語ではコロッセウム(Colosseum)と言い、これが世界中に存在するコロシアムの語源となっている。因みに、この後訪れるフォロ・ロマーノ(Foro Romano)はラテン語ではフォルム・ロマヌム(Forum Romanum)といい、このフォルムがフォーラムの語源である。日本にもありますね。東京フォーラムとか有明コロシアムとか。

 ちなみにラテン語は古代ローマの公用語である。ローマ帝国の文化が現代社会にも延々と生き続け、遙か極東の地日本の建物にまで影響を与えているのである。ローマ帝国はかくも偉大であった。


 地下鉄の駅から地上に出ると被写体が大きすぎて全景を撮影できないくらいだ。テルミニ駅からは地下鉄B線で2駅。電車代が勿体ないくらいに近いが、歩くのは大変だ。


 コロッセオは、帝政ローマの中心部に位置しており、フォロ・ロマーノやコンスタンティヌス帝の凱旋門のすぐ近くに位置する。

 前回のイタリア旅行では、フォロ・ロマーノまで来ながらも、ここコロッセオは訪れずに、旧アッピア街道付近のローマ水道橋を見に行くことを選んだのだった。水道橋の遺構も見物だったけれども、やはりコロッセオを見ていないことが心残りであった。

 今回のイタリア旅行で、これでその思いは払拭された。


 閑散期の1月であっても、ここコロッセオでは列ぶ必要があった。それでも待ち時間は30分程度。寒さは身にこたえたが、この時期のローマ観光には穴場的な良さがあると言えるかもしれない。




 コロッセオには木製の床が貼られており、更に砂が敷いてあって、その上で剣闘士や猛獣の戦いが行われた。コロッセオに水をはって、模擬海戦までが行われたという。そして、最上階には天幕が張られ、ローマの強い太陽を遮蔽する工夫が施されていた。収容人員は五万人。返す返すも大ローマ帝国の桁外れのスケールには驚かされる。

 ちなみに、木製のステージにはガイドと一緒でなければ入ることができない。地下部分も同様であった。

 それでも、ここコロッセオの巨大さ、均整の取れた美しさは他に類を見ないものだ。

 コロッセオは均整が取れた形状のために、非常に美しい。中世に石切り場として石材が持ち去られ続けていたというのに、なおこれだけの遺構が残存していることはその巨大さ故ということなのだろうか。いや、この施設には巨大というよりは、偉大という言葉が相応しい。



 これは、観光を終え、地下鉄に乗るためにコロッセオまで戻ってきたときの風景である。コロッセオは夕日に染まる景観も美しい。


 2017年1月イタリア旅行


2017年3月30日木曜日

トリニタ・デイ・モンティ教会 Chiesa della Trinita dei Monti (イタリア・ローマ)

 スペイン広場まで来たので、ついでにトリニタ・デイ・モンティ教会(Chiesa della Trinita dei Monti)に立ち寄った。ここは16世紀にフランス人用の教会として建てられた建物で、現在もフランス語でミサが行われているそうだ。
 前回ここを訪れた時は、オベリスクは修復作業中で見ることができなかった。



 教会の前にはオベリスクが置かれている。この教会の名は、「丘の上の三位一体教会」という意味である。劇的な場所にある劇的な教会である。






 丘の上からの眺めは格別。この日も非常に寒かったので、落ち着いてじっくり景色を堪能するというわけにはいかなかったけれども、せっかくスペイン広場まで来たのなら、ここも訪れる価値のある場所である。


 2017年1月イタリア旅行


2017年3月28日火曜日

スペイン広場 Piazza di Spagna (イタリア・ローマ)

 パンテオンからテルミニ駅へ戻るために、スペイン広場の地下鉄駅を利用した。高級ブランドの店舗が並ぶコンドッティ通りを通って、スペイン広場に至る。
 ここも、前回のイタリア旅行で訪れたことのある場所である。


 映画「ローマの休日」で有名なこの階段は、上部に存在するフランス教会トリニタ・デイ・モンティ教会とここスペイン広場をつなぐために造られたものである。スペイン広場に存在することからスペイン階段と呼ばれているが、この階段の正式名称は「Scalinata di Trinità dei Monti」というそうだ。文字通り、この教会へ通うための階段なのである。




 船の噴水(Fontana della Barcaccia)はベルニーニ親子の作である。あの有名なジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini)は子供の方だから、この噴水の制作に実際にどの程度関与したのかはよくわからない。

 通常なら噴水は地面より高い位置に置かれるのであるが、当時この辺りの水道の水圧が不足していたため、水盤を地面の高さまで沈めて水を噴出させるようにしたそうである。


 スペイン階段の上部から眺めたスペイン広場とコンドッティ通り。美しい眺めである。我々は、この前後にちょっとした革製品を購入し、イタリア料理を食べてテルミニ駅近くのホテルへ帰った。

 このスペイン広場には地下鉄利用のために、後日、三度訪れることになる。


 2017年1月イタリア旅行


2017年3月26日日曜日

パンテオン Pantheon(イタリア・ローマ)

 古代ローマ建築の最高傑作。五賢帝の一人ハドリアヌス帝が作らせた完全な形態の神殿。それがパンテオン(Pantheon)である。


 ここは前回のイタリア旅行でも自由時間を利用して訪れたことがある場所だが、再び近くまで来たのならば立ち寄らない手はない。



 現在見ることのできるパンテオンは、最初、マルクス・アグリッパが建立したが火災により焼失し、その後ハドリアヌス帝が再建したものである。正面ペディメント下部に刻まれた

M・ AGRIPPA・L・F・COS・TERTIVM・FECIT

の文字は「ルキウスの息子マルクス・アグリッパが、三度目の執政官の時に建造した」という意味だそうだが、これはアウグストゥスの腹心であり、最初にパンテオンを建立したアグリッパを顕彰してハドリアヌス帝がそう刻ませたということだ。


 イタリアでは、ローマを訪れてパンテオンを見ないものは愚か者だというような諺(ことわざ)があるそうだが、建築の歴史の中で輝かしい1ページを飾るこの建物をみないのであれば愚かと言われても仕方がないのではないだろうか。


 パンテオンはキリスト教会としても機能しており、その名は「Basilica Santa Maria ad Martyres」というらしい。「聖母マリアと殉教者の聖堂」とでもいう意味であろう。



 この建物がキリスト教至上主義の中世を無事に生き延び、現在も整備された美しい姿を保っているのは、キリスト教の聖堂として利用されてきたからであろう。パンテオンは全ての神々を意味し、キリスト教が広まる前のローマの神々が祀られていたのである。


 イタリア建国の父ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の墓所もここパンテオンに存在する。




 ここパンテオンは正面外観や内部の美しさに誰しもが魅了されるだろう。しかし、その美しさに惑わされずに裏側に回れば、そこは紛れもなきローマ遺跡だったのである。

 古代ローマのローマン・コンクリートは二千年近くが経過しても崩壊することなく現代でも利用可能である。一方で、現代建築で使われるコンクリートは、鉄筋を使用しているがゆえに最大でも百年程度しか利用できない。
 建物の経済的価値を考えると、現代では建築物を60年以上使うことは稀であるから、百年もてば十分だということなのだろうが、現代の技術は古代ローマよりも本当に進んでいるのだろうか。

 一般的なツアーでは、トレビの泉を訪れることはあっても、ここパンテオンまで足を延ばすことは少ないようだ。全く勿体ない話である。

 この日のローマ散策はここまでとなった。この後、我々は地下鉄に乗るためにスペイン広場に向う。


 2017年1月イタリア旅行


2017年3月25日土曜日

アドリアーノ神殿(Tempio di Adriano)(イタリア・ローマ)

 ガッレリア・アルベルト・ソルディからパンテオンに向かう途中で偶然に見つけたのがアドリアーノ神殿(Tempio di Adriano)である。イタリア語のアドリアーノはハドリアヌスのことだ。



 現在は証券取引所として利用されているようだ。

 ローマ皇帝ハドリアヌスは、五賢帝の一人。ローマ帝国の領土を拡大したトラヤヌス帝の次に帝位についたので、ローマ帝国がその版図を最大限に拡げた時代の皇帝である。

 すぐ近くにあるパンテオンもハドリアヌスが再建させたものだ。

 ハドリアヌス帝が建てさせた神殿なのか、このローマ皇帝を祀った神殿なのか判らなかったが、インターネット上の情報によると、そのハドリアヌスが死後に神格化されて祀られたのがこの神殿であるということのようだ。

 我々は次に、本来の目的地であるパンテオンに向う。


 2017年1月イタリア旅行


2017年3月23日木曜日

ガッレリア・アルベルト ソルディ(Galleria Alberto Sordi)(イタリア・ローマ)

 ショッピングを楽しむ目的で訪れたのがここ、ガッレリア アルベルト ソルディ(Galleria Alberto Sordi)である。



 美しい建物ではあったが、我々にとっては期待外れの場所であった。インターネットで、「ローマ ショッピング」と検索した結果を見て行ってみたのだが、入居しているのはブランド店ばかりで、日用雑貨のような我々の興味を引き、また気軽に入れるような店が存在しなかったからである。
 日本でいうショッピング・センターのようなものを期待したのが間違いだったようだ。多くの観光客にとって、ローマの「ショッピング」とはきっとこういうものなのだろう。

 インターネットは非常に便利で有益であるが、ときに期待通りの結果をもたらさないこともあるのだ。


2017年1月イタリア旅行


2017年3月21日火曜日

トレビの泉 Fontana di Trevi(イタリア・ローマ)

 サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の次はローマ観光の定番「トレビの泉」に向った。サン・ジョバンニ駅(San Giovanni)に戻り、地下鉄A線でバルベリーニ駅(Barberini)で降りる。




少し歩けば、そこはトレビの泉(Fontana di Trevi)である。ここは前回のイタリア旅行でもパッケージ・ツアーの団体客として訪れた場所だ。その時にジェラートを食べた店は、すでに無くなっていた。

 トレビの泉は、アグリッパが紀元前19年に完成させたローマ水道を利用している。古代の施設が現代も活きているのがこの国の恐るべきところである。

 お定まりの行動だが、我々夫婦はトレビの泉に後ろ向きにコインを投げ入れて、ガッレリア・アルベルト・ソルディ(Galleria Alberto Sordi)へショッピングに向った。

 コインの言い伝えによって、我々は三度ローマを訪れることになるはずである。


 2017年1月イタリア旅行

2017年3月20日月曜日

サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂 Basilica di San Giovanni in Laterano(イタリア・ローマ)


 我々はサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を後にして、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂(Basilica di San Giovanni in Laterano)へ向った。


 地下鉄A線のサン・ジョバンニ(San Giovanni)駅で降りてローマの市壁を横目に大聖堂を目指す。
 


 ここは教皇のアビニョン捕囚まで教皇座(ローマ司教座)が置かれていた場所で、ローマの教会の中でも非常に格式の高い場所である。







 荘厳。壮麗。様式美。言葉を重ねても表現しつくせない素晴らしさがある。ここに載せた写真も代表的な部分だけだ。もしイタリアをローマを訪れることがあったなら、代表的な教会を巡ってみるべきである。
 別にキリスト教徒でなくても、観光として十分に楽しめるはずだ。少々不謹慎な言い方かもしれないが、偽らざる気持である。これだけ素晴らしい施設が集まっている場所は、世界中探しても他にはないのではないだろうか。

 ローマ四大聖堂巡りはこれで完了である。

 次は、トレビの泉へ行く。


 2017年イタリア旅行

2017年3月16日木曜日

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 Basilica di Santa Maria Maggiore (イタリア・ローマ)

 ローマ滞在五日目はテルミニ駅からほど近い、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂からスタートする。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂(裏手)

 テルミニ駅からサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂へ向うと、オベリスクのある大聖堂裏手に出る。オベリスクがあり、立派な外観なのでこちらが正面かと誤解しそうだが、こちら側は裏手である。
 正面は反対側なので、間違えないように注意する必要がある。実は、この数日前、我々夫婦はこちら側が閉鎖されているのを見て、今日は入れないのだと誤解して素通りしてしまったのである。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂(正面)



 おかしいと思い、よく調べるとどうやら大聖堂の正面は反対側らしい。

 今日は、迷わず建物正面を目指す。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂(内部)

 今日は無事に大聖堂内部に入ることができた。美しい建物である。観光客が少なかったこともあって、落ち着いて、じっくりと内部を鑑賞することができた。




 ここに入ったとき、不思議な感動を覚えたことを覚えている。もしかしたら、それは宗教的感動だったのだろうか。ほぼ独り占め状態であったことが、独特の感慨を私にもたらしたのかもしれない。
 この後、何か所もの教会を巡るのだが、同じ感覚が訪れてくることはなかった。

 不思議なことである。



 この後、我々は次の観光地、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂へ向う。


 2017年イタリア旅行