2017年3月14日火曜日

ポンペイ遺跡2 Scavi di Pompei 2(イタリア・ポンペイ)

ポンペイ遺跡1から続く。

ファウヌスの家(Casa del Fauno)

 ファウヌスの家は彫像が有名である。

ヴェッティの家(Casa dei Vettii)

ヴェッティの家

ヴェッティの家

ヴェッティの家

ヴェッティの家

 ヴェッティの家もフレスコ画が綺麗に残っている場所だ。ここは特に素晴らしい。見逃すことはできない。

パン釜と石臼

 パン屋だった場所だろう。石臼とパン釜が残っている。

スタビアーネ浴場(Terme Stabiane)

スタビアーネ浴場

スタビアーネ浴場

スタビアーネ浴場

 ここにも浴場がある。浴場にはフレスコ画やモザイク画が付き物のようだ。

ポンペイの道

ポンペイの道

 車道と歩道が区分され、飛び石状の歩道も整備されている。舗装道路に、車道と区分された歩道、その両側にはローマン・コンクリート製の建物が立ち並ぶ。大小二つの円形劇場と円形闘技場とがあり、大規模な浴場も市内にいくつか存在する。
 娯楽があり、衛生施設にも事欠かない。古代ローマの生活水準には驚くばかりである。現代日本に生きる私でも、この街でなら暮らしてみても良いかもしれない、という思いが横切ったことは偽りのない事実である。

イシス神殿(Tempio di Iside)

イシス神殿

イシス神殿

 イシス神殿の建物には美しい浮き彫りが残されている。

大劇場(Teatro Grande)

大劇場

小劇場(Teatro Piccolo)

小劇場

小劇場

剣闘士の宿舎(Caserma dei Gladiatori)
大劇場(Teatro Grande)の隣に小劇場(Teatro Piccolo)があり、それらに隣接して剣闘士の宿舎(Caserma dei Gladiatori)がある。

 ポンペイの地図を探して見てもらいたい。街路が曲りくねっているのが旧市街。それが碁盤の目状になっているのが新市街である。ポンペイの旧市街の東端にあたる部分にこれらの娯楽施設は集中している。
 ポンペイの市街地が拡大した後、円形闘技場と大体育場とが全く同じ位置関係をもって作られていることは興味深い。

 騒々しいこれらの施設は、街の外縁部に作られたということだろう。






 写真に注釈がないのは、どこで撮影したかわからない写真である。ポンペイ遺跡では犬のモザイク画が有名だが、これはその一つである。犬は家の守りの象徴であったようで、ここポンペイには、犬のモザイク画がいくつか存在する。もっと直接的に「犬に注意(CAVE CANEM)」と書かれたモザイク画が、悲劇詩人の家にあったはずだが、その場所は訪れていないようだ。あるいは、閉鎖されていて入れなかったのかもしれない。日本に帰って既に二か月。詳細な記憶はすでに失われつつある。筆を急がねば。

 ここポンペイでは、理由は判らないのだがいくつか閉鎖されている建物があった。ガイドと一緒でないと入れないと書かれた施設もあった。言葉の判らない我々にはその理由は不明なのであった。

オクタウィウス・クアルティウスの家(Casa di Octavius Quartio)

ユリア・フェリクス荘(Praedia di Giulia Felice)

ユリア・フェリクス荘

ユリア・フェリクス荘

 ユリア・フェリクス荘は壮大、壮麗な建物である。円形闘技場へはこの建物の中を通り抜けて行った。回廊の柱は復元されたものだろうか。非常に状態が良く、火山灰に埋もれていたものとは考え難いほど綺麗な状態であった。
 壮麗な建物に、水をふんだんに使った庭園。こういう邸宅に住めたなら、素晴しい人生であっただろう。火山の噴火という災厄に見舞われることがなければ。

円形闘技場(Anfiteatro)

円形闘技場

円形闘技場

 ここポンペイ遺跡にも円形闘技場がある。それは、先程書いた通り、ポンペイの東のはずれに位置する。少々遠いけれども、頑張って歩いてようやく辿り着いた。ポンペイの中心部にはたくさんの観光客が闊歩していたのだが、ここまで来ると閑散として、貸切状態となっていた。ツアーの人達はここまで来ないのだろうか? そうだとしたら、勿体ないことである。

大体育場(Palestra Grande)

 ここまで観てきて時刻は午後三時近くになっていた。途中冬の雷雨に降られ、寒さに震えながら怖い思いもした。

 止まない雨の中、ナポリに戻るためにマリーナ門に向う。

 予定では、ナポリ市内を二、三時間観光するつもりであったが、そのための時間が足りなくなってしまい、寒さに疲れ切っていたこともあって、結局、ナポリ中央駅の周りをぶらぶらしたり、買物をしたりして時間をつぶし、軽く食事をして高速鉄道に乗り、ローマのホテルへ戻った。

 明日は、ローマ市内を観光する。


 2017年1月ローマ旅行


2017年3月12日日曜日

ポンペイ遺跡1 Scavi di Pompei 1(イタリア・ポンペイ)

 2017年1月にイタリア旅行へ行った。記憶の薄れないうちに記録を残しておく。

 今日は、少しだけ早起きして古代ローマの遺跡、ポンペイへ向う。日帰りのポンペイ観光である。

 ポンペイ遺跡はローマからの日帰り観光が十分可能な場所にある。我々はポンペイで時間を使いすぎてしまったけれども、ポンペイを早めに切り上げれば、ナポリ市街を観る時間も確保できるはずだ。


 ローマ、テルミニ駅からトレニタリアの高速鉄道フレッチャロッサ(Frecciarossa)でナポリ中央駅(Napoli Centrale)まで行き、そこからはヴェスヴィオ周遊鉄道(Circumvesuviana)のソレント(Sorrento)行に乗りポンペイ・スカヴィ=秘儀荘駅(Pompei Scavi - Villa dei Misteri)で降りる。





 なお、ナポリ中央駅から乗り換えるベスビオ周遊鉄道の駅はナポリ・ガリバルディ駅(Napoli - Garibaldi)である。ナポリに戻ってくるときに間違えないよう、覚えておいたほうが良いだろう。

 ちなみに我々はナポリ・ガリバルディ駅で帰りの切符も同時に購入しておいた。

ポンペイ遺跡の入口、マリーナ門(Porta Marina)

 7:35テルミニ駅発のフレッチャロッサに乗って、ポンペイ遺跡には10:00前に到着した。ナポリで路線図のポンペイ部分が削れていて見えなかったために少し迷ってしまったが、それがなければもう少し早く着いたはずである。皆が指差すためにポンペイ駅の部分が消えてしまっていたようだ。

 ここまでの経路を整理すると、次のようになる。

  7:35 Roma Termini
  ↓    Frecciarossa 9601
  8:45 Napoli Centrale
  9:11 Napoli - Garibaldi
  ↓    Circumvesuviana
  9:45 Pompei Scavi - Villa dei Misteri (乗車時間は35分~40分程度)
 10:00 Scavi di Ponpei  

 さて、遺跡の中を見て回るとしよう。

バジリカ(Basilica)

 ここはバジリカである。芸術作品なのだろうが、見たい遺跡の前に余計な人体像が置かれており、遺跡鑑賞や写真撮影の邪魔になる。夫婦で文句を言いながら歩く。

 その点、オスティア・アンティカは余計なものがなくて良かった。


門の美しい装飾

 非常に美しい装飾である。ヴェスヴィオ火山の噴火によってポンペイが滅んだのが西暦79年のことだから、日本ではまだ弥生時代のことだ。日本ではようやく農耕が始ったころ。

フォーロ(Foro)
フォーロの向うに見えるのはヴェスヴィオ火山。噴火の前に大地震があり、その地震の被害からの復興が終らないうちに、今度は火山の噴火が起きたとされている。

ウェスパシアヌス神殿(Tempio del Genius Augusti (Tempio di Vespasiano))

 ウェスパシアヌス神殿はローマ皇帝ウェスパシアヌスを祀ったのではなく、第一に崇めるべき神として、「ウェスパシアヌスの守護神」を祀った神殿であるとのことだ。日本人にとってはどちらでもよいことのようだが、私が持って行ったガイドブックには、その違いが念入りに書かれていて、彼我の文化の違いを感じさせられた。
 日本では古代の偉人は疑いなく神である。歴史上の実在の人物も普通に神として神社に祀られている。ユリウス・カエサルはウェヌス(ヴィーナス)の末裔とされていたはずだから、カエサルもアウグストゥスもその後継者の歴代皇帝も神でよいではないか、と思うのだが、実在の人物を神として崇め奉るのは罪であるというキリスト教文化の呪縛のようなものを、そうした記述から感じてしまったのである。

アポロ神殿(Tempio di Apollo)

ユピテル神殿(Tempio di Giove)

 古代ローマには無数の神がいて、神と神とが争ったり、人の娘に子を産ませたりする。それは一神教の神とは異なる人間臭い存在だった。ある意味では、日本の神々と相通ずるものがあって、神と人との境界は現代ヨーロッパ人の感覚よりは現代日本人に近かったのではないだろうか。
 
フォーロ浴場(Terme dell Foro)

フォーロ浴場の細部

フォーロ浴場の内部

 しかし、ローマ遺跡には風呂が多い。古代ローマ人は入浴をこよなく愛していたらしい。現代のヨーロッパ人は入浴ということにそれほど執着しないようだが。

秘儀荘(Villa dei Misteri)

秘儀荘

秘儀荘

 ようやく秘儀荘に到着する。ここに辿り着くまでに約1時間を要した。庇を支える円柱の装飾が美しい。今回のイタリア旅行で感じたことなのだが、古代ローマのデザインというものは、現代社会でも十分にそのまま通用するほど完成の域に達していたのではないだろうか。





 秘儀荘の名の由来となった有名な壁画である。秘儀荘はポンペイ遺跡の市街から少し離れた場所に隠れるようにして存在する。何かの儀式が描かれているようであるが、深くは考えずにただその美しさを眺めることにした。ここは間違いなくポンペイ遺跡一番の見所であろう。駅名が「ポンペイ遺跡と秘儀荘」となっていることも理解できる素晴らしさである。


ポンペイ遺跡2に続く。

2017年1月イタリア旅行