品川神社はJR品川駅から京浜急行で二駅の新馬場駅から程近い、小高い丘のような場所にある。
最初は東京十社の最北にある王子神社、根津神社を参詣したのだが、続けて最南端の品川神社を参拝することにした。比較的参拝することの容易な神社を後に残すことにしたのである。
石造の鳥居は、昇り龍、降り龍の彫刻が施された珍しいものだ。さすがは元准勅祭社。細工に手が込んでいる。
鳥居の左側には、大黒天の石像がある。花粉症の症状に苦しみながらも、ようやくここまでたどり着いた。
拝殿とそのかたわらにある神楽殿。
御祭神は、
天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)
宇賀之売命(うがのめのみこと)
素盞嗚尊(すさのおのみこと) の三柱。
御由緒は、品川神社のホームページから引用する。
文治三年(1187)、源頼朝が海上交通の安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請し、品川大明神と称した。元応元年(1319)、北条高時の臣二階堂貞藤(道蘊)が、産業の守護神として、宇賀之売命を勧請し社地を吉端岡と名付けた。文明十年(1478)6月、太田道灌が、風水害、疫病、歌謡の守護神として、素盞雄尊を勧請し6月の天王祭が始まる。東海道北品川宿の鎮守である。
御朱印をいただく。社号が肉筆ではないことは少々残念である。が、東京十社巡り専用の御朱印が埋まっていくことに、ある種の充実感を感じるのは不思議である。
拝殿の右に朱塗りの鳥居が並んでおり、その立ち並ぶ鳥居をくぐっていくと「阿耶稲荷神社」がある。その稲荷社の手前の石段を下りていくとそこにも稲荷社があり、「一粒萬倍 阿耶稲荷社」と書かれている。
石段を下った先の「阿耶稲荷社」には一粒萬倍の御神水がある。品川神社を訪れたならば、忘れずに訪れたい場所だ。印鑑、銭にこの水をそそぐが吉と書かれていたので、手持ちの500円硬貨を御神水で清め、財布の中の間違って使ってしまうことのないような場所に収め、常に身に着けていることにした。
事前のリサーチ不足のため、印鑑を持っていくことができなかったのは少々心残りである。
境内には富士塚がある。写真は「登山口」である。
急峻な登山道を登ると数分で山頂に到達する。富士塚は富士山を信仰の対象とする富士講の人々が富士遙拝の場所として、もしくは実際に富士登山の出来ない人のために築かれたものである。
境内には梅(だと思う)が咲いていた。この日は、他の神社へまわることは考えずに、品川神社でゆっくりと時を過した。仕事に追われ、時間に追われて過ごす日常を忘れて、時にこのように過す日は貴重である。
東京十社巡り御朱印の旅へ
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