2018年3月16日金曜日

品川神社(東京都・品川区)

 三月初旬のある日、品川神社を訪れた。
 品川神社はJR品川駅から京浜急行で二駅の新馬場駅から程近い、小高い丘のような場所にある。

 最初は東京十社の最北にある王子神社根津神社を参詣したのだが、続けて最南端の品川神社を参拝することにした。比較的参拝することの容易な神社を後に残すことにしたのである。




 石造の鳥居は、昇り龍、降り龍の彫刻が施された珍しいものだ。さすがは元准勅祭社。細工に手が込んでいる。


 鳥居の左側には、大黒天の石像がある。花粉症の症状に苦しみながらも、ようやくここまでたどり着いた。



 拝殿とそのかたわらにある神楽殿。

 御祭神は、
 天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)
 宇賀之売命(うがのめのみこと)
 素盞嗚尊(すさのおのみこと) の三柱。

 御由緒は、品川神社のホームページから引用する。
文治三年(1187)、源頼朝が海上交通の安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請し、品川大明神と称した。元応元年(1319)、北条高時の臣二階堂貞藤(道蘊)が、産業の守護神として、宇賀之売命を勧請し社地を吉端岡と名付けた。文明十年(1478)6月、太田道灌が、風水害、疫病、歌謡の守護神として、素盞雄尊を勧請し6月の天王祭が始まる。東海道北品川宿の鎮守である。


 御朱印をいただく。社号が肉筆ではないことは少々残念である。が、東京十社巡り専用の御朱印が埋まっていくことに、ある種の充実感を感じるのは不思議である。




 拝殿の右に朱塗りの鳥居が並んでおり、その立ち並ぶ鳥居をくぐっていくと「阿耶稲荷神社」がある。その稲荷社の手前の石段を下りていくとそこにも稲荷社があり、「一粒萬倍 阿耶稲荷社」と書かれている。


 石段を下った先の「阿耶稲荷社」には一粒萬倍の御神水がある。品川神社を訪れたならば、忘れずに訪れたい場所だ。印鑑、銭にこの水をそそぐが吉と書かれていたので、手持ちの500円硬貨を御神水で清め、財布の中の間違って使ってしまうことのないような場所に収め、常に身に着けていることにした。
 事前のリサーチ不足のため、印鑑を持っていくことができなかったのは少々心残りである。


 境内には富士塚がある。写真は「登山口」である。


 急峻な登山道を登ると数分で山頂に到達する。富士塚は富士山を信仰の対象とする富士講の人々が富士遙拝の場所として、もしくは実際に富士登山の出来ない人のために築かれたものである。


 境内には梅(だと思う)が咲いていた。この日は、他の神社へまわることは考えずに、品川神社でゆっくりと時を過した。仕事に追われ、時間に追われて過ごす日常を忘れて、時にこのように過す日は貴重である。


 東京十社巡り御朱印の旅へ


2018年3月11日日曜日

根津神社(根津権現)(東京都・文京区)

 多忙のため、なかなか筆を執ることができず、実際に根津神社を参詣してから一月近くが経ってしまった。二月中旬のある日、王子神社を後にした私は、根津神社を目指した。


 根津神社には神社としては珍しい立派な楼門がある。お寺で山門と呼ばれるものと似ている。楼門は重要文化財である。



 正面に唐門を見る。これも重要文化財。端正なたたずまいである。


 楼門をくぐり、唐門を通り抜けて拝殿に到達する。以下に根津神社のホームページの記述を引用する。これを読むと、一般的な神社で見掛けることのない立派な構造物が存在する理由が理解できる。

○御社殿 
宝永二年五代将軍綱吉は兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行なった。
翌年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されている。(根津神社ホームページより) 


 御朱印をいただく。根津神社の部分がスタンプなのはやや残念なところ。本来、重要なのは御朱印なのだが、宮司さんが墨で書く社号の部分も楽しみの一部なので、省力化せずに筆で記載してもらえると有難かった。

 境内には稲荷社が二つ存在し、小規模だが京都の伏見稲荷で見るような、たくさん立ち並んだ鳥居を見ることができる。今回の参詣では、スマートフォンの電池が切れてしまったために、写真に残すことはできなかったが、根津神社を訪れたなら必ずお参りすべき場所である。

 今回の参詣は、王子神社を経由して来たので根津神社に辿り着いたときにはすでに夕刻になっていた。根津神社は躑躅(つつじ)が有名なので、躑躅が咲くころ、たっぷりと時間を取って改めて参詣してみたい場所である。


 東京十社巡り御朱印の旅へ


2018年3月6日火曜日

王子神社(王子権現)(東京都・北区)

 東京十社巡りの皮切りに東京都北区にある王子神社を訪れた。京浜東北線王子駅からほど近い場所にあり、アクセスは容易である。二月中旬の日曜に訪れたのだが、境内はひっそりとして、参詣の人影もまばらだった。
 


 御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱で、総称して「王子大神」と尊称する。
 元亨2年(1322年)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神を勧請し「若一王子宮」と呼んだことが王子神社の起源であるらしい。(王子神社の御由緒については王子神社ホームページを参考にした。)
 

 境内には戦災を生き延びたという大銀杏(いちょう)が残っている。戦前は、多くの樹木が茂り杜(もり)の様相を呈していたというが、現在は東京都指定天然記念物となっているこの大銀杏を残し全て焼けてしまったようだ。


 御朱印をいただく。東京十社巡り専用の御朱印帳には右側に御由緒が記され、通常の御朱印帳と比較して満足感が高い。

 この日はまだ日が高かったため、この後、根津神社(根津権現)を目指した。



2018年2月18日日曜日

東京十社巡り御朱印の旅(東京都)

 東京十社巡りを始めた。随分前から巡ろうという気持ちはあったのだが、行動に移さないうちに年月だけが過ぎてしまった。動機は相変らず運動不足の解消である。十年近く経っても一向に進歩しない自分という存在に、今更ながら驚いている次第である。そして、思い立ってからもう五年も経っているということに、もう一度驚いている。

 光陰矢の如し。
 後悔先に立たず。
 少年老い易く学成り難し。

 時の流れを戒める諺(ことわざ)はいくつも知っているが、その本当の意味がしみじみと分かり始めてきた今日この頃である。


 さて、先週ようやく東京十社巡りを始めた。

 東京十社は明治の御代、明治天皇が准勅祭社として定めた十二社のうち、東京都区内にある十社を巡るというものである。しかし、准勅祭社の制度は明治三年に廃止されてしまったので、今は元准勅祭社というのだそうだ。

 元准勅祭十二社は(●印が東京十社)
  ●根津神社(文京区根津1-28-9)
  ●神田明神(千代田区外神田2-16-2)
  ●亀戸天神社(江東区亀戸3-6-1)
  ●白山神社(文京区白山5-31-26
  ●王子神社(北区王子本町1-1-12)
  ●芝大神宮(港区芝大門1-12-7)
  ●日枝神社(千代田区永田町2-10-5)
  ●品川神社(品川区北品川3-7-15)
  ●富岡八幡宮(江東区富岡1-20-3)
  ●氷川神社(港区赤坂6-10-12)
  ○大國魂神社(東京都府中市宮町3-1)
  ○鷲宮神社(埼玉県久喜市鷲宮1-6-1)

 勅祭社は祭祀に際して勅使が遣わされる国内有数の格式をもつ神社のことであるが、准勅祭社はこれに次ぐ格式をもった神社だということだ。
 同じ元准勅祭なのに、この専用御朱印帳から大國魂神社と鷲宮神社が外されてしまったのは、少々残念な気がする。
 私はこの十社巡りが終ったら、これらの神社も巡ってみたいと思っている。

専用の御朱印調

東京十社巡り御朱印調より「東京十社巡拝路程圖」

 専用の御朱印調には、「東京十社巡拝路程圖(図)」の他、東京十社の由来や各神社の最寄り駅などの情報が記されている。価格は最初の御朱印代を含めて、1,500円だった。
 御朱印を書くページは見開きになっていて、右に神社の紹介、左に御朱印が捺(お)されるようになっており、当然、十社分のページしか用意されていない。
 これを買うと、不思議と全部回りたいという気持になるから不思議である。

 なお、東京十社巡りでは御朱印だけではなくミニ絵馬(300円)も用意されており、さらにこのミニ絵馬を飾る大絵馬(1,500円)も手に入れることができ、これらを集める楽しみもある。
 両方集めると、一万円近い出費となり、さらに御神籤(おみくじ)やら御賽銭(おさいせん)やら交通費やらと、費用がかさむので、私はまずは御朱印だけを集めることにしたのであった。