2012年3月31日土曜日

【ローマへ向かう車窓より】(イタリア・ローマ)

今日お見せするのは、フィレンツェからローマへ向かう車窓の景色だ。

イタリア旅行の最高の見所、ローマへ向う途上で撮った写真である。今もカプトゥ・ムンディ(Caput Mundi)と言えばローマを意味する。カプトゥ・ムンディとはラテン語で世界の首都を意味する言葉であり、古代ローマの歴史を考えれば、まさにこのローマに相応しい呼称なのである。








高速道路から、オルヴィエートの街を望む。オルヴィエートとは、丘の上に作られた要塞都市である。最近のツアーではオルヴィエートに立寄るものも少なくないが、私がローマを訪れたときのツアーにはこの地の観光は含まれていなかった。

残念ながら、我々は遠くからオルヴィエートを望むのみであった。




イタリアの高速道路を走っていて良く見かけるのが、高速道路の上に橋のようにして設置されたレストランである。どちらの車線を走っている車からも利用できるのだと思うので、合理的といえば合理的なのかもしれない。しかし、周辺に土地は余っているように見えるので、日本のように高速道路の両側の土地を利用して、素直に地面にパーキングエリアを設置したほうがコストも安いし、万が一災害などが生じたときのリスクも減少するのではないか、と思うが、これは外国人の勝手な独り言でしかない。

ともかく、日本では見られない面白い風景。










イタリアの都市は今も重厚な城壁で囲まれているものが多い。帝政ローマ初期に外的に攻められるおそれの少なくなったときに、都市の発展のため、すべての城壁を取り払ってしまったローマだが、帝国の国力が衰えたころに再びローマは城壁に守られるようになった。

ローマ帝国崩壊後、この街はたびたびこの堅固な城壁によって難を逃れた。ローマが皇帝の都ではなく、教皇の都となった後もこの状況は変らなかったのである。

街中が博物館と言われるローマだが、この城壁も立派な遺跡である。

2012年3月30日金曜日

【クラウディア水道橋】(イタリア・ローマ)



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ローマのテルミニ駅から地下鉄A線に乗って、チネチッタ(Cinecitta)駅で降りる。地下鉄の駅を出ると大きな幹線道路、トゥスコラーナ通り(Via Tuscolana)にでるので、その道路に沿ってチネチッタ広場(Piazza di Cinecitta)に向って北西に少し歩くと、向かって左側、遠くににローマ水道橋が見えてくる。

クラウディア水道橋(Acquedotto Claudio)である。




クラウディア水道橋の竣功は西暦52年。この水道橋の名は、当時、ローマ帝国の皇帝であったクラウディウスにちなむものだ。

一体に、ローマの街道、水道などのインフラはそれを作るために私財をなげうった人の名がつけられることが多いのだが、この水道橋もその例に漏れない名称となっている。







ここは、ローマからは比較的アクセスも良く、あの有名なローマ水道橋が、なかなか良い保存状態で残されている。私がこの地を訪れたのは2008年3月のことであったが、他に観光客の姿もなく、近くを通るのはジョギングや犬の散歩をするローマ人(?)だけであった。

ここはローマ観光の穴場である。

旧アッピア街道(Via Appia Antica)からもほど近い場所にあるので、時間が許す状況ならば、アッピア街道へも足を延ばしてみたかったが、徒歩で行くには少々遠いのと、その日のうちに見て回りたいところがたくさんあったため、旧アッピア街道を見ることは断念した。










ウィキペディアの記述によると、クラウディア水道橋は、ローマの水道管理委員、セクストゥス・ユリウス・フロンティヌスの残した資料によるものとして、次のデータが挙げられている。

・建築年:西暦38~52年
・全長:68.681km
・水源地の高さ:320m
・ローマの高さ:67m
・送水量:184,280㎥/日

離れた場所から水道を引くことが可能かどうかは、水源と目的地と間の距離と高低差との関係によって決まるわけだが、それを見極めることが可能な程度の測量技術が当時すでに存在した、ということになる。精度は別にしても、二千年前にどのようにしてそれを測量したのか、想像することすら不可能だ。

70km近い距離の高低差はわずか250m余り。全区間にわたり均等な勾配で建設されていたとすれば、水勾配は0.368/100(0.368%)という計算になる。水平距離100メートル当りの高低差0.368m(36.8cm)ということだ。現代の建築でも雨が降る場所では水がたまらないように勾配を設ける(これを水勾配という)が、その勾配は一般的に1/50~.1/100程度。広い場所で1/100勾配で設計すると、水たまりができることがあるので、可能であれば1/50程度とることが理想的である。

ローマ水道橋の勾配はこの現代の施工水準を上回る精度を誇る。
古代ローマ人は恐るべき技術力を誇っていたのである。




断続的に残る水道橋の断面を見ると、四角形の空洞部分があり、この部分を水が通っていたものと思われる。

Wikipediaには「1キロ当り34センチの傾斜(1:3000)」との記述もあるが、このWikipediaの記述を信じるとすれば、驚異的な技術水準である。水が流れさえすれば良いわけだし、常時水が流れているはずのものだから、多少の施工誤差があっても「水溜りができる」心配はないだろうが、正直言って信じ難い数値である。

しかも、建築工事は今をさかのぼることおよそ二千年。

共和政・帝政ローマが広大な版図を勝ち取り、当時の感覚で言えば「世界帝国」を作り上げたのも、この技術力をもってすれば、当然のことであったのかも知れない。




なかなかの壮観。

サン・ピエトロ大聖堂やカステル・サンタンジェロ、パンテオンを差し置いても見るべきであるとまでは言わないが、イタリア旅行でローマの自由時間に余裕があったなら、見ておいて損はない場所だ。




ちなみにこの最後の写真はクラウディア水道橋と並行するマルキア水道橋(Acquedotto Acqua Marcia)だ。こちらはクラウディア水道橋よりも建築時期は古い。Wikipediaによれば、こちらの建築年は西暦紀元前144~140年。クラウディア水道よりも200年ほど前の建設である。建設当時の地盤面もクラウディア水道橋よりも随分と低かったらしく、現代では大部分が土に埋もれたままである。

歴史的価値は別にして、観光客としてはこちらにはあまり見ごたえを感じなかった。

2012年3月29日木曜日

【玉樟園新井】(静岡県・伊豆・土肥温泉)

今回の伊豆ドライブ旅行では、静岡県は伊豆半島、土肥温泉にある「玉樟園新井」に宿泊した。

いつも、観光を欲張りすぎて旅館でのんびりする余裕がないので、この度のドライブ旅行では、「温泉宿でのんびりする」ことを主眼に行程を組んだ。

初日は、修善寺を見るのみで土肥の温泉宿へ向かう。チェックイン時刻の三時過ぎには旅館に入り、取敢えず温泉に入る。温泉の写真は撮れなかったので、宿屋のホームページから御覧いただきたい。

車を玄関先に乗り付けると、旅館の方が駐車場まで回送してくれる。勿論朝はまた玄関先まで自動車を届けてくれる。ありがたいサービスなのだが、そうされると、つい慌ててしまって自動車から地図を降ろすのを忘れてしまった。

なれないサービスを受けると、どうもいけませんな。






食事はなかなか豪華で、鮑(あわび)の踊り焼きに伊勢海老、刺身の盛合せもついた。朝食、夕食ともに食事は部屋食。伝統的な旅館のサービスなのであるが、正直言うと、これも我々夫婦には馴染めないところ。
食事処があって、そこへ食べに行くスタイルのほうが、気楽で良いのである。

今回の宿泊には、貸切風呂も宿泊にセットになっている。少々寒かったが、サッシを開け放して入浴すると、なかなか良い気分であった。






驚いたのは、宿泊した部屋の広かったことである。

お世辞にも新しい部屋だとはいえないが、往時の「貴賓室」を今は安く貸しています、といった雰囲気。部屋は少々古びてはいるが、清潔感があって快適。

客室には茶室まで付属していた。勿論、我々夫婦には茶室は無用の長物であったのだけれど。

夫婦二人でこの広さだから、ちょっと金持ちになったような気分が味わえた。





部屋から海を臨むことも可能で、天候がよければ眺めもなかなか楽しめそうな部屋であった。

惜しむらくは、部屋から大浴場までが遠かったこと。冬なら、部屋に戻るまでに湯冷めしてしまうかもしれない。

大浴場は深夜に男女が入れ替えられ、二種類の大浴場を楽しむことができる。
泉質は塩化物泉。事前に調べて予約したのだが、この旅館の温泉は循環方式ではなく、源泉かけ流し式だ。





旅館の玄関に植えられている桜が見事に花開いていた。我々が宿泊したのは平成24年(西暦2012年)3月2日の金曜日であった。この桜は、だから3月3日に撮影したもの。

今年は寒さが厳しかったためか、どこも開花が遅れていたようだが、たまたまここで綺麗な桜に出会うことができた。

総じて言えば、今回の旅行でに泊まったこの旅館は、満足のいくものであった。

2012年3月28日水曜日

【鰻の川八】(静岡県・伊豆)



南伊豆でたまたま入ったのがこの「鰻の川八」であった。

座敷の天井には木製の泳ぐ魚のオブジェが飾られている。面白い趣向である。

残念ながら、写真はこれだけしか残っていない。空腹であったのと疲れていたのとで、写真を撮る余裕もなく、夫婦そろってがつがつ食べてしまったのだ。

家内が食べたのは「うな丼」。私は「ひつまぶし」を食べた。鰻はうな丼に乗っているものの方が立派で美味そうだった。が、私の食べたひつまぶしも、大変おいしかった。

またこの地を訪れることがあれば、是非立寄りたい場所である。

勿論、次はうな丼を食べるのだ。いや、鰻が二段入っている「かくれうなぎ」というメニューがあったはずだから、それを食べるか。

2012年3月27日火曜日

【伊古奈比咩命神社(白濱神社)】(静岡県・伊豆・下田)






ここは参拝する予定には入っていなかったのだが、伊豆半島ドライブ旅行の途中で、たまたまこの社の前を通りかかり、その雰囲気に惹かれて参拝したのである。


鳥居の中心には「白濱神社」と、鳥居の左にある石柱には「式内大社 伊古奈比咩命神社」とそれぞれ記されている。

御祭神を知らせた看板を見ると「伊古奈比咩命神社(白濱神社)」と書かれているから、伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)が正式な名称なのであろう。

主祭神は「伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)」。神社の名称は勿論この神様のお名前によるものだ。「愛と知恵と美の女神」と記されている。

三嶋大明神も祭られているが、三島の「三嶋大社」の御祭神は、ここの三嶋大明神が遷座したものであるらしい。

さすがは伊豆の国最古のお宮である。












拝殿の右横にある参道を登り、奥にある御本殿に詣でる。

拝殿が立派造りであるのに対して、御本殿は、優しさを感じさせる造形になっている。趣のある参道は坂道になっているが、そこを登る距離は僅かであるから、ここまで来たら御本殿まで詣でることをお勧めしたい。




こちらでも御朱印をいただく。

御朱印を見ると、墨書も御朱印も「伊古奈比咩命神社」と大書され、小さく「白濱神社社務所印」、「伊豆國白浜神社之印」と書かれているから、やはり「伊古奈比咩命神社」の方が正式な名称なのであろう。

2012年3月26日月曜日

【石廊崎灯台と石室神社】(静岡県・伊豆・石廊崎)

伊豆半島の最南端、石廊崎に断崖絶壁にへばり付くようにして、石室神社がある。「いろうじんじゃ」とも「いしむろじんじゃ」とも読むらしい。察するに古く「いしむろ」と称したものが時とともに「いろう」と転訛したものか。






遊覧船の乗り場にもなっている石廊崎の港に自動車を停め、役小角(えんのおづの)の銅像のわきにある坂道を登っていくと、石廊崎灯台に至る。

この灯台は、柵で囲われており、近寄って見物することはできない。仕方がないので、記録のために看板を撮影し、灯台の写真を撮る。ここですべきことはこれだけ。

先を急ぐ。






岬の突端部分を取り巻くようにして遊歩道が整備されており、その岬の最突端部には熊野神社の祠(ほこら)がある。縁結びの神様のようだ。

一応、石室神社とは別のものらしい。

何年前になるか、以前一度この地を訪れたことがあるが、何から何まで昔のまま。こういうところは、変らないことに価値がある。この祠の周辺からは、伊豆七島が望める。この日は、快晴ではなかったが、遠くいくつかの島を望むことができた。

ここの景色はよい。神社に興味が無くても、この景色を見るだけでもここまで来る価値があるだろう。そして、ここまで来たならば、神様に詣でるべきである。




岬の突端から石室神社を望む。断崖絶壁にお社(やしろ)がある。この神社の由来には諸説あるらしい。煩雑になるからここにはその諸説を記すことはしない。

一体に古い神社になれば、御祭神に複数の神様が祭られていることは当り前のことである。そして、その祭られている複数の神様を総称して、「○○神社」と称するわけだ。そしてその祭られている神様によって、学業成就の神であるとか、交通安全の神であるとか、縁結びの神であるとかの神社の性格が決まるのである。

ここに神社を作ることを思いついた方の想像力には頭が下がる。そして、この場所に神社を建設することの困難を考えると、実際に工事にあたった方々は相当の熱意と信念とをもって工事をされたのに違いないと、そう思うのである。








江戸時代の千石船の帆柱。ガラスが嵌め込んであって、七不思議の帆柱が見られるようになっている。神社の貼り紙によると、伊豆七不思議の一つであるという。由来を写真に収めておいたので、興味がある方は御覧いただきたい。

嵐にあった船がこの石廊権現に無事を祈り、帆柱の奉納を誓ったところ、無事江戸につくことができた。帰路、この石廊崎に差し掛かると、船が進まなくなり、海が荒れ始めた。この帆柱を切り倒して海に投じ、石廊権現に奉納すると、不思議とその帆柱は石廊権現の社前に供えた如く打ち上げられ、波も静まった、云々。(というようなことが書いてある。)

ちなみに修善寺で見た独鈷の湯もここでは七不思議のひとつに数えられている。




御朱印をいただく。

「石室神社」と篆刻された御朱印に「奉拝」の文字と御朱印をいただいた年月日が記してあるだけ。簡素であるが、味がある。