この夏、体重が鰻登りに増えてしまい、何とかしなければならない状態になった。見た目も良くないし、第一体に悪い。体重は気になるのだが、食事制限は精神力が足りないのでうまく行かない。
そこで、歩くことで減量に取り組もうと思い始めた。
しかし、家の近くをただ歩くのは三日も続かなかった。近くの神社まで歩いていき、参拝して帰ってくると小一時間。程よい運動にはなるのだが、如何せん、歩いている途中に何の変化も無いので、歩くこと自体が面白くないのである。
では、どうしたらよいのだろうか。
東京の神社仏閣を巡り、趣味の御朱印集めをしたら楽しみながら歩数を増やすことができるのではないか。歩くことそのものを目的にしないで、何かの楽しみのために嫌でも歩かなければならないようにすればよいのである。
七福神巡りみたいなことをしながら、博物館をのぞいたり買物をしたりするのである。これなら、精神力の弱い私でも続けられそうな気がする。
まず手始めに東京十社巡りをしてみたいと思っている。一日で結願することは考えていない。ぼちぼち巡るので、二週間三週間かかってもかまわない。のんびりやろうと思っている。
そして、それが終ったら、今度は七福神巡りとか、博物館巡りとか、適当なテーマを決めて東京街歩きをしてみたいと思っている。
残念ながら明日は雨のようだから、すぐに始めることはできないけれども。
2013年10月20日日曜日
2012年5月22日火曜日
金環日蝕の写真
今朝、少しだけ早起きして出勤前に日蝕の写真を撮った。カメラはRICOH CX 4。日蝕観察用のグラスを手前にかざして撮影したので片手撮りだ。途中から遠景用の設定に変えたら、ピント合わせに時間がかからなくなったので、上手く撮れているのかな、と思ったら軒並みピンボケになっていた。
結構うまく取れたと思うので、何枚か公開しておこう。
最後の一枚は、(多分)遠景用の設定に変えてしまった後の写真だ。これは上手く撮れていません。今回も公開する前に日付が変ってしまいました。が、上の文章は敢えて変更しません。気分的には眠るまでは今日ですから。
結構うまく取れたと思うので、何枚か公開しておこう。
最後の一枚は、(多分)遠景用の設定に変えてしまった後の写真だ。これは上手く撮れていません。今回も公開する前に日付が変ってしまいました。が、上の文章は敢えて変更しません。気分的には眠るまでは今日ですから。
2012年4月19日木曜日
【カステル・サンタンジェロ】(イタリア・ローマ)
カステル・サンタンジェロ(Castel Sant'Angelo)は直訳すれば聖天使城となる。
サンタンジェロ城と訳されることも多い。
この建物の上空に大天使ミカエルが現れたとの伝承により、今日このように呼ばれているが、もともとこれはローマ皇帝の霊廟として創られたものである。霊廟として建設されたものが、後世、城砦として利用されるようになり、さらに大天使が現れたとの伝承が加わって、今日ではカステル・サンタンジェロと呼ばれるようになったものである。
サンタンジェロ城には、今日でも、大砲の砲丸か投石用として使用したものと思われる球形の岩や、大型の弩砲が残されている。
ローマ教皇の地位については、近世になってイタリア王国が成立した後も緊迫した状況が長く続いたことを考えると、これらのものが今日も残されていることに感慨を禁じえない。
カステル・サンタンジェロは長く教皇の避難場所となっていて、ローマが外敵に侵されたときは、教皇は誰にも見られずに通ることのできる通路を通って、バチカンのサンピエトロ寺院からこのサンタンジェロ城に避難したという。
2012年4月17日火曜日
【ナヴォーナ広場】(イタリア・ローマ)
大きな地図で見る
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会からパンテオンを経てカステル・サンタンジェロへ向かう途中で、ナヴォーナ広場(Piazza Navona)に出る。
グーグルマップで見るとわかるけれど、ナヴォーナ広場は古代の競技場の跡地である。紀元一世紀にドミティアヌス帝の造らせた競技場であった。上の航空写真を見ると、パンテオンとナヴォーナ広場との位置関係が一目瞭然である。
ここにも美しい彫刻を配した噴水と、オベリスクが存在する。
ローマの街は美しい。
2012年4月13日金曜日
【パンテオン】(イタリア・ローマ)
建築史の教科書には必ず出てくるローマ建築の傑作。細部のデザインではなく、ドーム部分の造形全体が幾何学的な美しさを見せている。円形の平面の上に美しいデザインの球形のドームが乗っている。円形の平面部分の直径は球形ドーム部分の直径と同一である。つまり、この部分は球体がピッタリおさまる空間となっているのだ。ドームの天井は、現代建築としても合理的な形状で、天井の重量を抑えながら強度を確保できる形状になっている。
ローマ建築の傑作であり、中世以降教会として使われていたために、破壊や荒廃することをまぬがれて、現代でもこの素晴らしい建物が良好な状態で維持されているのを見ることができる。ローマにいったら、パンテオンを見ないで帰ったらもったいない。
建築美とは何か、と問われたら、私はそれはパンテオンのような建物を表現するための言葉である、と応えよう。
パンテオンは、もともとすべての神々を祀るために造られた神殿である。通常パンテオンと音訳で表記されるが、「万神殿」と訳される場合もある。
パンテオンは最初、初代皇帝アウグストゥスの右腕であったアグリッパが紀元前25年に建立したが、その後焼失し、後世に皇帝ハドリアヌスが紀元後120年頃に建設した。現代に残るパンテオンは、このハドリアヌス帝によって建設されたものである。
この象徴的な美しさを持った円と球の空間の外側には古代ギリシア神殿のようなポルティコが配されている。このポルティコには、アグリッパが建設した旨の表示がされているが、それは最初にこの地にパンテオンを建設したアグリッパに敬意を表して刻まれたものなのである。
ふたたび言おう。
ローマに行ってパンテオンを見ずに帰るのは愚かである。
2012年4月12日木曜日
【マルチェッロ劇場】(イタリア・ローマ)
マルチェッロ劇場(イタリア語:Teatro di Marcello)はユリウス・カエサルが建設を始めたが、彼が暗殺されてしまったため、内戦を経て初代ローマ皇帝となったアウグストゥスが紀元前13年に完成させたものである。アウグストゥスの甥のマルケルスの名を冠した円形劇場の跡。マルケルス劇場(ラテン語:Theatrum Marcelli)とも、マルケッルス劇場とも。
マルケルスはアウグストゥスに後継者と目されていたが早世してしまった人物だ。アウグストゥスはこの人物の死を悼んで、自らが完成させた劇場に、この甥の名を付けたのである。
驚くべきは、集合住宅に改造されて現在も人が住んでいることだ。二千年前の遺跡に今も人が住むことができるということは、驚異的だ。
場所は、ティベリーナ島の近く。真実の口のあるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会からも近いので、真実の口で写真を撮ったついでに、立寄ってみるのもよいだろう。
2012年4月11日水曜日
【サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(真実の口)】(イタリア・ローマ)
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会というよりも、「真実の口のある教会」と言った方がとおりが良いだろう。
我々も、教会ではなく真実の口を見に行ったのである。
実際に、我々がこの地を訪れた時も、真実の口に手を入れた姿を写真に収めるためのカップルが行列を作っていたけれども、肝腎の教会の中は閑古鳥の啼くような状況であった。
行列の前には土産物屋があり、真実の口を模したピンバッジなどを販売していた。その時は、我等夫婦のどちらも特に欲しいとは思わなかったピンバッジなのだが、日本に帰ってから二人で「やっぱり買っておけばよかったね」と言い交わしたものである。現地ではくだらないものと目に映ったのだが、日本に帰ってから欲しくなってしまい、買っておけばよかったと後悔したのである。
真実の口は、ローマ時代のマンホールの蓋であったとの説が一般的だ。海神の姿が彫刻されているとされている。マンホールにしてはなかなか立派である。こんな素晴らしいマンホールを使用しているとは、古代ローマはなかなか贅沢な社会であったらしい。
この教会は、身廊の両側に側廊が位置する一般的なバシリカ様式だ。屋根は木造のトラス。古典的な構造である。
この教会は、東方で行われた聖像破壊運動から逃れてきたギリシア人に与えられた、という歴史を持っている。そのためか、東方教会でよく見るような、モザイク画を嵌め込んだ額が飾られていた。
聖像破壊運動とは、聖書にある「偶像を崇拝してはならない」との教えを文字通りに受け取った結果に起こった宗教運動であった。つまり、このモザイク画にあるようなイコン(聖像)を否定し、それを破壊しようとする活動であったのだ。
この教会の周辺は古代のフォルムの跡であって、ジアーノ門とか、ヘラクレス・ウィクトール神殿とか、壊れた橋とかの遺跡がたくさん残っているから、観光の目的地の一つに加えてみるのも良いだろう。
我々も、教会ではなく真実の口を見に行ったのである。
実際に、我々がこの地を訪れた時も、真実の口に手を入れた姿を写真に収めるためのカップルが行列を作っていたけれども、肝腎の教会の中は閑古鳥の啼くような状況であった。
行列の前には土産物屋があり、真実の口を模したピンバッジなどを販売していた。その時は、我等夫婦のどちらも特に欲しいとは思わなかったピンバッジなのだが、日本に帰ってから二人で「やっぱり買っておけばよかったね」と言い交わしたものである。現地ではくだらないものと目に映ったのだが、日本に帰ってから欲しくなってしまい、買っておけばよかったと後悔したのである。
真実の口は、ローマ時代のマンホールの蓋であったとの説が一般的だ。海神の姿が彫刻されているとされている。マンホールにしてはなかなか立派である。こんな素晴らしいマンホールを使用しているとは、古代ローマはなかなか贅沢な社会であったらしい。
この教会は、身廊の両側に側廊が位置する一般的なバシリカ様式だ。屋根は木造のトラス。古典的な構造である。
この教会は、東方で行われた聖像破壊運動から逃れてきたギリシア人に与えられた、という歴史を持っている。そのためか、東方教会でよく見るような、モザイク画を嵌め込んだ額が飾られていた。
聖像破壊運動とは、聖書にある「偶像を崇拝してはならない」との教えを文字通りに受け取った結果に起こった宗教運動であった。つまり、このモザイク画にあるようなイコン(聖像)を否定し、それを破壊しようとする活動であったのだ。
この教会の周辺は古代のフォルムの跡であって、ジアーノ門とか、ヘラクレス・ウィクトール神殿とか、壊れた橋とかの遺跡がたくさん残っているから、観光の目的地の一つに加えてみるのも良いだろう。
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