2012年4月6日金曜日

【カトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂】(イタリア・ローマ)






イタリア・ローマ一番の見所。カトリック教会の総本山、御存知サン・ピエトロ大聖堂である。

サン・ピエトロは「聖ペトロ」の意。「聖ペテロ」とも表記する。カトリック系の聖書ではペトロと、プロテスタント系の聖書では「ペテロ」と表記されるらしい。私はプロテスタント系の「文語訳聖書」を読んだので、今もペテロと覚えているが、サン・ピエトロ大聖堂がカトリック教会の総本山である以上、ここでは「聖ペトロ」と表記することにしよう。

さて、聖ペトロは初代ローマ教皇とされている。それはペトロがイエス・キリストから天国の鍵を授かったとの聖書の記述(マタイ16:19)によるもので、爾来、ローマ教皇は代々この天国の鍵を引き継いで来たことになっている。ローマ教皇のシンボルが鍵であるのは、この思想によるものだ。







ところで、バチカン市国は小さいけれど独立国家である。

中世にはイタリア半島で無視し得ない世俗の勢力となっていたローマ教皇領だが、1860年にイタリア統一とともに、ローマ教皇領はイタリア王国によって没収された。この後、イタリア王国とローマ教皇庁とは断絶状態となったが、1929年にムッソリーニ政権下のイタリア王国と交したラテラノ条約によって、バチカンは正式に独立国家としての地位を回復したのである。




有名なミケランジェロのピエタを見る。

ゆっくり時間をとって、じっくり見たい作品だが、遠方より望遠で撮影することしかできなかった。これは、ブレずに取れた貴重な写真の一枚だ。観光客が多く、近づくのも困難な状況だった。時間も限られていたから、これが精一杯の記録である。

ピエタとは、聖母子像の一種で、十字架からおろされたイエス・キリストとその亡骸を腕に抱く聖母マリアの姿とを表現した作品を言う。

これは聖書の中でも最も劇的な場面であろう。
























サン・ピエトロ大聖堂の内部は壮麗そのもの。豪華絢爛である。サン・ピエトロ大聖堂自体が巨大な芸術作品、美術品であると言っても差支えないであろう。中世以降の教皇権力の絶大さ、想像を絶する財力が、この芸術的なまでに美しい建物を創り上げたのである。

ローマ・カトリック教会の権威が衰えた今日でも、ローマ教皇の影響力は絶大である。世界を動かして異教徒を攻めることはもうできないと思うが、依然として世界12億とも言われるカトリック教徒の頂点に位置する教皇座なのである。



聖ペトロの墓。

サン・ピエトロ大聖堂はペトロの墓の上に建てられている。ペトロはイエス・キリストの復活を見て信仰を新たにし、ローマへ布教の旅に出て、この地で迫害にあい、殉教したと言われている。

後の世に、そのペトロの墓の上に建てられたのが、サン・ピエトロ大聖堂なのである。聖ペトロの墓が、サン・ピエトロ大聖堂の地下には今も祭られているのは、当然のことなのであった。

2012年4月4日水曜日

【コンスタンティヌス帝の凱旋門】(イタリア・ローマ)

コロッセオの隣に立っているのが、コンスタンティヌス帝の凱旋門である。

コンスタンティヌス帝の凱旋門は、数ある凱旋門のうちでも屈指の美しさを持っている。

念のために断っておくが、凱旋門の本場はローマである。凱旋門というとフランスはパリにあるナポレオンの凱旋門(エトワール凱旋門)を思い浮かべる方も多いかと思うが、凱旋門の歴史はローマ帝国に始まるのだ。










コロッセオとコンスタンティヌス帝の凱旋門は、このような位置関係にある。

2012年4月3日火曜日

【コロッセオ】(イタリア・ローマ)

コロッセオ(Colosseo)の外観写真。残念ながら、私は今回コロッセオの内部には入っていない。

コロッセオは巨大で美しい。

コロッセオはネロの黄金宮殿の跡地に建てられたと言われている。コロッセオの完成は西暦80年。およそ二千年前である。ローマ帝国の都市には円形劇場、闘技場が多数残されているが、帝国の首都ローマのコロッセオはその最も重要な施設だ。








コロッセオは、中世にはその表面に貼られた大理石を切り出して他の建築に使用することが行われていたらしい。往時には、外装は大理石で化粧され、テントを張って日除けにすることもできたらしい。ローマ水道からひいた豊富な水を利用して、コロッセオで模擬海戦を見せることもできたとのことである。

まさに、世界の首都に相応しい建造物であると言わざるを得ない。

壮大である。





2012年4月2日月曜日

【スペイン広場】(イタリア・ローマ)

こちらもツアーの観光に組み込まれていた場所。

スペイン広場である。










スペイン階段を上りきったところにある「トリニタ・デイ・モインティ教会」。オベリスクは残念ながら修復中で見ることができなかった。





船の噴水。

船から水があふれ出ているという発想にいささか違和感を抱かないではないが、スペイン広場の噴水は船の形をしている。





スペイン階段の上から、サン・ピエトロ大聖堂(だったと思う)を見る。夕暮れにシルエットだけが写って、なかなか印象的な写真が撮れたと思っている。

ローマは町全体が美術品のような美しさを持っている。

いつの日にか、再びローマを訪れたいと思っているのだ。

2012年4月1日日曜日

【トレビの泉】(イタリア・ローマ)

ツアーでイタリア旅行に行くと、観光に組み込まれていることが多いトレビの泉(Fontana di Trevi)である。

私も、ここにはJTBのツアーで連れて行ってもらった。

何枚か写真を撮ったので、お見せしよう。






私も家内も勿論、後ろ向きでコインを泉に投げ入れておいたから、再びローマの地を訪れることができるのである。

教会や遺跡を見たくてイタリアへ行ったのだが、こういう観光地を訪れるのもなかなか乙なものだ。

トレビの泉のすぐそばでジェラートを食べた。時間が足りなかったから慌てて食べた。観光地で名物を食べるのは、旅の楽しみの一つである。




泉の最上部には教皇の紋章が立体的に彫刻されている。




教皇クレメンス12世、ヴィルジネ水道(ウィルゴ水道)、という文字が読み取れる。
最後に書いてある、ANNO DOMINIは「主の年において」という意味で、現代日本では一般にA.D.と略され、西暦と訳される。

だから、ANNO DOMINI MDCCXXXVは西暦1735年を意味する。MDCCXXXVはローマ数字による表記である。

I, II, III, IV, V, VI, VII, VIII, IX, X くらいは読める方が多いのではないかと思うが、確かにローマ数字は効率が悪い。計算も大変だから、アラビア数字が普及したもの当然のことなのだろう。

ちなみに「PONT・MAX・」はラテン語の「Pontifex Maximus」の略。直訳すれば最高神祗官。古代ローマの官位で最高の宗教的権威であったから、キリスト教の時代になって、この表記がローマ教皇を意味するものへと変ったも自然なことだったのかもしれない。